犠牲の死を問う 日本・韓国・インドネシア
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教科書に書かれなかった戦争61
犠牲の死を問う 日本・韓国・インドネシア
高橋哲哉(著/文), 李泳采(著), 村井吉敬(著), 内海愛子(コーディネーター)
A5判 158頁 並製
定価 1,600円+税
「犠牲の死」、あなたはどう考えますか?
靖国問題から犠牲の論理を問い続けてきた高橋哲哉さん、民主化運動の犠牲の意味を考えてきたイ・ヨンチェさん、インドネシアを歩いて、国家も追悼もフィクションだと実感している村井吉敬さん、3人が語る。司会は内海愛子さん。
【目次】
1.佐久で語り合う―「靖国と光州5・18墓地は、構造として似ているところがある」について
犠牲の死を称えるのか・・・・・・・・・・・・・高橋哲哉
――光州5・18、安重根の行為、カトリックの列福式・・・について
死の意味を付与されなければ残された人々は生きてゆけない・・・・・・・・イ・ヨンチェ
国家というのはフィクションです・・・・・・・・・・・村井吉敬
――犠牲を追悼することはフィクションの上のフィクションを作る行為
2.東京で語り合う
追悼施設につきまとう政治性、棺桶を担いで歩く抵抗、
国家の弔いには下心(野心)がある、
戦犯裁判を考えてこなかった戦後日本、等々について
【著者プロフィール】
高橋哲哉(タカハシ テツヤ)
1956年、福島県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授。大学では専門の哲学のほか、「人間の安全保障」なども教える。ベストセラーとなった『靖国問題』(ちくま書房 2005)の他、『戦後責任論』(講談社 1999)、『国家と犠牲』(NHK出版 2005)など、著者多数。近著に『犠牲のシステム 沖縄・福島』(集英社新書 2012)、『いのちと責任』(大月書店 2012)高史明との共著、などがある。
李泳采(イ ヨンチェ)
1971年、韓国生まれ。恵泉女学園大学教員。98年来日、専門は日韓・日朝関係。日韓の市民団体の交流のコーディネーター、韓国語、韓国映画や映像を通して現代を語る市民講座の講師を務める。「ヤスクニの闇に平和の灯を!東アジア4地域(日本・韓国・台湾・沖縄)キャンドル行動実行委員会」事務局、光州5.18財団発行の「アジアジャーナル」海外編集委員。
著書に『韓流がつたえる現代韓国』(梨の木舎 2010)、『アイリスでわかる朝
鮮半島の危機、(朝日新聞社 2010)、『なるほど!これが韓国か---名言・流行語・造語で知る現代史』(朝日新聞社 2006)、『朴正煕―動員された近代化』(曺喜昖著, 李泳釆監訳, 牧野波訳)(彩流社 2013)など
村井吉敬(ムライ ヨシノリ)
早稲田大学大学院中退。東南アジア社会経済論。1975-77年、インドネシア・パジャジャヤラン大学留学。上智大学外国語学部、早稲田大学アジア研究機構教授(―2013年3月)。上智大学グローバル・コンサーン研究所客員研究員。2013年3月没。
著書に、『スンダ生活誌 変動のインドネシア社会』(日本放送出版協会 1978)、『小さな民からの発想 顔のない豊かさを問う』(時事通信社 1982)、『エビと日本人』(岩波新書 1988年)、『エビと日本人Ⅱ』(岩波新書 2007)、『ぼくの歩いた東南アジア』(コモンズ 2009)、『パプア 森と海と人びと』(めこん 2013)など多数
内海愛子(ウツミ アイコ)
早稲田大学大学院(社会学)修了。在日朝鮮人などマイノリティの人権問題に関心をもって活動・研究。日本朝鮮研究所、インドネシア国立パジャジャラン大学、恵泉女学園大学、早稲田大学大学院をへて、現在、大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター特任教授。
著書に、『朝鮮人BC級戦犯の記録』(勁草書房 1982)、『スガモプリズン――戦犯たちの平和運動』(吉川弘文館 2004)、『日本軍の捕虜政策』(青木書店 2005)、『平和の種をはこぶ風になれ』(梨の木舎 2007)(ノーマ・フィールドとの共著)、『東京裁判――捕虜関係資料』(全3巻)(共編著 現代史料出版 2012)
(上記内容は本書刊行時のものです。)
【あとがきから抜粋】
私が大学生の時、光州は民主化運動の聖地だった。全国の大学生たちにとって、5月に光州を訪れ、望月洞墓地を巡礼することが、重要な儀式になっていた。しかし、当時は望月洞墓地の周辺、光州全体は戦闘警察に包囲され、韓国民主化運動弾圧の象徴でもあった。90年代、金泳三大統領と金大中大統領が登場して以降、真相究明が進められた。国立墓地が造成され、被害者への補償も行われた。今では、5月18日は国家記念日として、一部地域ではあるが記念式典の様子が生中継されるまでになっている。
「光州」と聞くだけで、私は胸が重くなり、複雑な感情を抱く。それは今でも変わりない。だが、30年を経った今日、日本やアジアの各地から多くの人びとが記念シンポジウムに参加し、観光などの形で光州を訪れるようになった。訪れることさえ禁止されていた時代を考えると、30年という時間の流れとともに、光州が訴えてきた韓国の民主主義のあり方が大きく変わってきていることを考えさせられる。
1998年、私は日本に留学した。留学前、韓国で考えていた靖国といえば、日本の首相が参拝し、戦争を美化する場所というイメージしかなかった。2006年8月15日、小泉首相の靖国「公式」参拝に抗議して、韓国や台湾から遺族を含め3000以上の人びとが来日した。当時、立命館大学教授だった徐勝先生から、いつものように突然、深夜に電話がかかってきた。ヤスクニキャンドル行動の「事務局をやれ」と言う。「こういう問題は、日本人自らやるべきです」と断ったが、「日本人自らやらないから」という返事だった。それ以降、「ヤスクニの闇に平和の灯を!東アジア4地域(日本・韓国・台湾・沖縄)キャンドル行動実行委員会」の事務局に毎年加わってきた。多くの人びとから「靖国の闇」の本質的な問題を学ぶ中で、日本社会の歴史問題が解決されないその根底に、靖国史観や靖国問題が根深く存在していることが少しずつ分かってきた。また、死者に対する美化や顕彰の問題は、日本だけの問題ではないと考えるようになった。
韓国でも国軍兵士や独立運動家の死に対する美化や英雄化は、国家主義やナショナリズムを形成していくうえで、重要なイデオロギーとして作用している。それだけでなく、民主化運動の象徴である光州事件の真相究明の後、望月洞の犠牲者が国立墓地に移葬された。彼らに暴力を加えた国軍の加害者と民衆の被害者が、同時に国家によって追悼されるという事態となった。日本国家が追悼という名の下に死者を美化することの問題性を訴え、靖国を批判すればするほど、韓国の民主化精神の象徴として光州事件の犠牲者を国家が追悼することの問題性も見えてきた。
軍国主義による犠牲の象徴である靖国と民主主義闘争による犠牲の象徴である光州は、質が違うものであり、その歴史も背景も経緯が異なっている。光州と靖国を同じ天秤にかけて比較することは、私の短い民主化運動の経験から見ても言語道断である。質が違うものを比較すること自体に違和感を覚える人も韓国民主化運動陣営には多くいるだろう。
光州の死者への英雄化と国立墓地への埋葬がなされ、民主化運動の抵抗の精神が形骸化されつつある現状を見ると、光州や韓国の民衆の犠牲に対して再び原点に立ち返り考える必要がある。光州出身であり、いわゆる光州精神で自分の民主化運動と現在の生き方を考えてきた者として、光州の現在の追悼のあり方に関して、今の時代だからこそ取り上げるべきだと思った。それは、まさに我々の中に存在しているもう一つの国家意識や構造的な暴力とも向き合いたいという気持からでもあった。・・・・・
李泳采(イ・ヨンチェ) 2013年7月7日
ISBN 978-4-8166-1308-1 C0022
2013年8月発売
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