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7人の戦争アーカイブ あなたが明日を生き抜くために
¥2,420
教科書に書かれなかった戦争 わたしたちの《歴史総合》PART75 『7人の戦争アーカイブ あなたが明日を生き抜くために』 内海愛子 編 鶴見和子/「水俣とアニミズム」 北沢洋子/反アパルトヘイト 鄭敬謨/在日評論家 高崎隆治/『戦争文学通信』 岡本愛彦/演出家「わたしは貝になりたい」 湯浅謙/軍医『消せない記憶』 亀井文夫/映画監督『戦ふ兵隊』 発行:梨の木舎 A5 254頁 定価 2,200円+税 ISBN 978-4-8166-2401-8 C0021 この危うい時代を私たちはどう生きるのか? 「聖戦」とは、「東洋平和」とは何だったのか? 実態は「強制連行」であり、「従軍慰安婦」であり、「731部隊」ではなかったか。 戦争の時代を生きた7人から、あなたにつなぐ《歴史総合》。 目次 鶴見和子:「小さな民」の視点から 北沢洋子:カイロで目からウロコが落ちた 鄭敬謨:板門店で“アメリカ”が見えた 高崎隆治:戦争と性――語られなかった強かん 岡本愛彦:軍隊とはこんなところだった 湯浅謙:「生体解剖」は日常業務だった 亀井文夫:占領軍に没収された『日本の悲劇』 著者 内海愛子(ウツミ アイコ) 早稲田大学大学院文学研究科社会学専攻・歴史社会学・日本ーアジア関係史 早稲田大学平和学研究所招聘研究員・恵泉女学園大学名誉教授 主要著作: 『朝鮮人BC級戦犯の記録』勁草書房、1982年・岩波現代文庫、2015年 『死刑台から見えた二つの祖国』(共編著)梨の木舎、1992年 『日本軍の捕虜政策』青木書店、2005年 『村井宇野子の朝鮮・清国紀行』(編)梨の木舎、2021年
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敵対から協力へーベトナム戦争と枯れ葉剤被害ー
¥3,080
『敵対から協力へーベトナム戦争と枯れ葉剤被害ー』 教科書に書かれなかった戦争Part74 レ・ケ・ソン、チャールズ・R・ベイリー 著 北村元、野崎明、生田目学文、石野莞司、桑原真弓 訳 発行:梨の木舎 A5判 284頁 定価 2,800円+税 ISBN 978-4-8166-2205-2 C0030 戦争は最大の環境破壊だ! 戦争終結47年後の今もエージェントオレンジ/ダイオキシンは人と自然を破壊し続けている。 絶望的な脅威に向き合ったかつての敵2人の研究者が、世界へ発信する。 ウクライナ戦争のいまだからこそ私たちが知っておくべきこと。 1961年8月10日 枯葉作戦始まる1975年ベトナム戦争終了したが、 ベトナムにはエージェントオレンジにより傷ついた人々と大地が残された。 2007年2月(戦争終了後32年目)ベトナム人とアメリカ人による市民委員会「エージェントオレン/ダイオキシンに関するアメリカ・ベトナム対話グループが結成され、解決への大きな一歩を踏み出した。 本書はダイオキシン汚染の実態、被害者の現実、染色体損傷、森林破壊の影響、アメリカとアメリカ人のかかわり、被害者に必要な支援など。 目次 本書を故ヴォー・クイ教授に捧ぐ 日本の読者への手紙 レ・ケ・ソン 日本語版の読者のみなさまへ チャールズ・R・ベイリー 著者紹介 序文:戦争の痛手 エッセイ:私たちはいかにしてここにたどり着いたか、そして次の目標は何か 1章 :南ベトナムでは今もなおダイオキシン汚染が存在しているのか 2章 :エージェントオレンジ/ダイオキシンに誰が曝露したのか。また、ベトナム にはエージェントオレンジ被害者はどのくらいいるのか 3章 :ダイオキシンへの曝露は先天性欠損症と生殖障がいをもたらすのか 4章 :森林の生態はエージェントオレンジの撒布による影響から回復したか 5章 :アメリカ人はエージェントオレンジについて何を知り、どのように支援するつもりなのか 6章 :ベトナムはエージェントオレンジ被害者のために何をしているか 7章 :アメリカはこれまで何をしてきたのか 8章 :エージェントオレンジ被害者には何が必要か 9章 :エージェントオレンジの問題はアメリカもしくは他の地域の裁判所で解決 できるのか 10章:エージェントオレンジをめぐる2国間関係は時間とともにどのように変化し、 今日の状況はどうなっているのか 終章:エージェントオレンジの未来 謝辞 附録 1:ダイオキシンとは ? 附録 2:エージェントオレンジ/ダイオキシンに関するベトナム政府の最近の科学研究(2011~2015年) 附録 3:フォード財団助成金受領者:ベトナム・エージェントオレンジ/ダイオキシン・プログラム(2000~2011年) 附録 4:エージェントオレンジの55年:重要な声明、決定および出来事の年表(1961~2016年) 訳者あとがき 著者 レ・ケ・ソン(Le Ke Son) 1954年ベトナム生まれ。陸軍医科大学卒業後、医学博士号(毒学)を取得。2004年から2014年まで、天然資源環境省33委員会事務局長として戦争遺産処理の一番大事な時に、ダイオキシン汚染対策や被害者救援対策などに奔走。環境保護の国家管理に努め、国と人民に奉仕した。主な著作:『ベトナムのホットエリアにおけるダイオキシン汚染』(ベトナム語)、など多数。 チャールズ・R・ベイリー(Charles R. Bailey) 1945年生まれ。プリンストン大学卒業後、コーネル大学で博士号取得(農業経済学)。その後フォード財団駐在員として、バングラデシュ、インド、ネパール、スリランカで活躍。特にベトナムではレ・ケ・ソン氏とタッグを組んで、ダイオキシン除染の実現とエージェントオレンジに起因する枯れ葉剤障がい者支援に奔走。専門分野は公共政策。主な論文:“Delivering Services to People with Disabilities Associated with Exposure to Dioxin in Vietnam,” June 2, 2014, The Aspen Institute など。
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戦争花嫁 ミチ 国境を越えた女の物語り
¥1,870
『戦争花嫁 ミチ』 国境を越えた女の物語り 教科書に書かれなかった戦争Part73 田村恵子 著 発行:梨の木舎 四六判 並製 192頁 定価 1,700円+税 ISBN 978-4-8166-2204-5 C0023 1950年代前半、約650人の日本人戦争花嫁がオーストラリアに到着した。 この女性たちは、連合軍占領下の日本でオーストラリア人兵士と出会い、新しい人生を切り開くために、妻としてあるいは婚約者としてオーストラリアに渡った。 本書はそのうちの一人、ミチの物語である。 日本人戦争花嫁たちが持っていた冒険心と好奇心、周囲に惑わされない独立心が、新しい挑戦に向かわせた――。 オーストラリア在住の著者がインタビューを重ねた1冊。 【目次】 プロローグ 1章 オーストラリア人兵士との出会いと結婚 歴史解説 占領下の出会いから結婚まで 2章 アイ ライキ オーストラリア――妻として母として 3章 老いを迎えて 4章 子どもたちのまなざし エピローグ あとがき 参考文献 【著者プロフィール】 田村恵子(たむら けいこ)1955年大阪生まれ。キャンベラ在住。 オーストラリア国立大学アジア太平洋学部名誉上級講師。神戸女学院大学卒業後渡豪し、オーストラリア国立大学考古・文化人類学部を卒業(1985年MA、1999年PhD取得)。 1997年から2009年まで豪戦争記念館内日豪研究プロジェクトにて勤務。 日豪の大学や研究機関で研究活動に従事し、関心分野である戦争花嫁、日豪交流史、日豪の太平洋戦争とその記憶などの研究成果の発信を日英両言語で続ける。 主な著書にForever Foreign: Expatriate Lives in Historical Kobe (2007)、Bridging Australia and Japan (2巻、2016、2020年共編)『日本とオーストラリアの太平洋戦争』(共著2012年) など。
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村井宇野子の朝鮮・清国紀行
¥1,980
教科書に書かれなかった戦争72 『村井宇野子の朝鮮・清国紀行 日露戦争後の東アジアを行く』 Murai Unoko’s Travel to Korea and Qing (April 14th-June 16th, 1906): An Observation of East Asia in the Aftermath of the Russo-Japanese War 内海 愛子 編著 発行:梨の木舎 A5 並製 174頁 定価1800円+税 ISBN 978-4-8166-2106-2 漱石よりも3年前だった。新たな「帝国の版図」を、日本人女性が歩いた、軽便鉄道、軍用鉄道を乗り継ぐ全長8700キロの旅。 【はじめにから一部抜粋】 本稿は、明治の「たばこ王」と称された村井吉兵衛の妻、村井宇野子の六十日間におよぶ、朝鮮、清国の旅日記である。 (中略) 宇野子の夫、吉兵衛は、民営時代のたばこ業で財を成したが、日露戦争で国家財政がひっぱくする中で一九〇四年(明治三七)七月、明治政府はたばこ製造、販売を専売とした。家業を手放さざるを得なくなった村井吉兵衛は、その後、村井銀行を立ち上げるなど、多くの事業をおこしている。朝鮮での農場開発もその一つである。旅行は、この朝鮮の農場予定地の視察を目的としているが、さらに日露戦争で拡大した「帝国の版図」へと足をのばしている。日露戦争の戦跡が今なお生々しく残る清国を歩き、宇野子は何を見聞きしたのか。 【目次】 宇野子のたどった道(地図) はじめに ◇東京を出発 ◇玄海灘を渡る ◇釜山の街で 釜山地図 ◇京釜鉄道に乗って 村井農場地図 ◇大邱の駅で ◇朝鮮の首府 漢城 ◇日本人の居留地 泥峴 漢城復元図(19世紀後半) ◇景福宮 コラム閔妃暗殺日本人には知らされなかった歴史の事実 ◇大臣の家庭のありさま ◇龍山 ◇仁川 ◇平壌 仁川地図 ◇新義州 京義鉄道の終点 安東~奉天間 臨時軍用鉄道地図 南満州鉄道安奉線線路図 ◇九連城占領の記念日 ◇安奉鉄道に乗る ◇本渓湖 隠密行の西園寺侯爵一行と出逢う ◇奉天 清朝の起こった地 ◇鉄嶺 農産物の集積地 ◇遼陽 ◇大連 一億五千万円をかけた都市 ◇旅順・旅順陳列場へ 旅順要塞概見図 ◇二百三高に登る ◇東鶏冠山 北鶏冠山へ ◇二龍山 ロシア兵の埋まった ◇松樹山、望台 ◇遼河を渡る ◇天津 ◇北京 ◇黄河を渡る ◇漢口 ◇揚子江を下る ◇支店があった上海で ◇愚園 解説 新たな「帝国の版図を歩く」内海愛子 奥田豊己 村井宇野子と吉兵衛――その生い立ちと事業 宇野子と吉兵衛の旅 コラム 宇野子、60日間蒸気機関車の旅――高い鉄道技術と利権拡大 主な参考・文献資料 おわりに
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対決!安倍改憲 東北アジアの平和・共生と新型コロナ緊急事態宣言
¥1,760
教科書に書かれなかった戦争 PART71 『対決!安倍改憲 東北アジアの平和・共生と新型コロナ緊急事態宣言』 高田健 著 発行:梨の木舎 A5判 並製 173頁 定価 1,600円+税 ISBN 978-4-8166-2004-1 C3031 市民と野党の共同の現場からの熱い報告。分断を乗り越え、日韓市民の運動の連帯を実現した30ヶ月の記録 推薦:小森陽一 「九条の会」事務局長 (まえがきより) 「安倍改憲」という奇怪な改憲策動とのたたかいがまる3年を迎えようとしている。 憲法9条は残して、あらたに自衛隊の根拠規定を付け加えるという、自民党の改憲運動の歴史から見ても異様な改憲論だ。しかし、この改憲論は変化球であるだけに打ち返すにはいささか容易ではない。 ・・・ 本書の刊行を準備している最中、4月7日、安倍首相は「緊急事態宣言」を発令した。このことは、今後の日本の市民運動をとりまく情勢の重大な転機となるに違いない。 本書が全国各地で奮闘している市民運動の仲間たちのたたかいにいくらかでも役に立つなら、この上なく嬉しい。近い将来、安倍改憲阻止の勝利の盃をこうした市民の皆さんとともにかわすことができることを切に願っている。 2020年4月8日 高田 健 【目次】 1章 連帯と共同の輪を広げる 安倍独裁改憲=ショックドクトリンとの闘い 2019年12月5~7日「北東アジアの平和共存に向けた日韓平和フォーラム」(韓国感江原道春川市での報告) 日韓市民の連帯運動の前進のために 2章 市民と野党の共闘を再構築 『週刊金曜日』連載① 2017――2018年の動き 3章 国会内外で続く改憲発議阻止の闘い 『週刊金曜日』連載① 2019――2020年の動き 資料 自民党「改憲4項目」条文素案全文 〈日本知識人の声明〉韓国は「敵」なのか 〈韓国知識人の声明〉東アジアにおける平和の進展のために 【著者プロフィール】 高田 健(たかだ けん) 1944年12月 福島県郡山市生まれ 1965年 早稲田大学文学部中退 1999年12月 許すな!憲法改悪・市民連絡会結成(現在事務局長) 2004年6月 九条の会結成を準備 2007年4月 衆議院憲法調査特別委員会中央公聴会の公述人で論述 2014年2月 戦争をさせない1000人委員会結成に際し事務局次長 2014年3月 憲法9条を壊すな!実行委員会結成に参加 2014年12月 戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会結成に参加 2015年12月 韓国の第3回李泳禧賞受賞 2015年12月 安保法制廃止と立憲政治回復のための市民連合(略称:市民連合)結成よびかけに参加。運営委員 2016年9月 戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会共同代表に就任 2017年8月 安倍9条改憲NO!全国市民アクション運営委員 連絡先 101-0061 東京都千代田区神田三崎町3-3-3-402 Tel 03-3221-4668 FAX 03-3221-2558 mail kenpo@galaxy.ocn.ne.jp ○著書:『改憲・護憲 何が問題か〜徹底検証・憲法調査会』(技術と人間 2002年12月)、『護憲は改憲に勝つ〜憲法改悪国民投票にいかに立ち向かう』(同 2004年10月)、『9条が、この国を守ってきた。』(梨の木舎 2006年9月)、『自衛隊ではなく、9条を世界へ』(同 2008年10月)、『2015年安保 総がかり行動』(同 2017年3月) ○共著:『中高生からの平和憲法Q&A』(晶文社 2011年8月)など
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慈愛による差別 象徴天皇制・教育勅語・パラリンピック 新装増補版
¥2,420
教科書に書かれなかった戦争 PART70 『慈愛による差別 象徴天皇制・教育勅語・パラリンピック 新装増補版』 北村小夜 著 発行:梨の木舎 四六判 並製 260頁 定価 2,200円+税 ISBN 978-4-8166-2003-4 C3021 北村小夜(95歳)さんは今、日本の現状に強い危惧を抱いている。身体も心も国に取り込まれてしまったのではないか! 東日本大震災と五輪誘致で「みんな化」が進み、日本中に同調圧力と忖度が拡がっている。象徴天皇制化の天皇の「巡行」のなかでなされる「慈愛」による差別、今も教育勅語から抜けられない日本人、健常者を奨励し傷害者を差別するパラリンピック。 ※本書の底本は、1991年軌跡社から刊行された『慈愛による差別ー障害者は天皇制を見限り始めた』。このたび増補リメイクし新装増補版として復刊! 【目次】 序章 軍国少女はつくられた 第1章 教科書にみる天皇・障害者 第2章 分に応じる障害者・分を越える障害者 第3章 障害者を排除し続ける学校 第4章 「健康」もスポーツも人間のものでなくなった 第5章「巡行」にあやかる人・犠牲になる人 増補1 天皇制と道徳の教科化 増補2 パラリンピックは障害者差別を助長する 増補3 教育勅語から脱却できない日本人 北村小夜さんは、現在94歳、1925年治安維持法の年に生まれた。 天皇のために死んで靖国に祀られるため看護婦の道を選び、敗戦は満州で迎え、めぐり合わせで八路軍と行動を共にした。その1年の間に、自分の考えは間違っていたと気付く。 日本に帰国後は、教師になり特殊学級の担任をし、さまざまな体験の中で、発言し行動している。子どもを分けてはいけないことに気づき、共にまなぶ地域の学校づくりを目指してきた。 【著者プロフィール】 北村小夜(きたむら さよ) 1925年生まれ。1950年から86年まで教員(1965年から退職まで特殊学級の担任)。 「障害児を普通学校へ・全国連絡会」世話人。 著書: 『慈愛による差別』(軌跡社 1991年) 『一緒がいいならなぜ分けたー特殊学校の中から』(現代書館 1987年) 『おもちゃ箱ひっくり返したーひとりの女・教師の半生』(現代書館 1988年) 『能力主義と教育基本法「改正」-非才、無才、そして障害者の立場から考える』(現代書館 2001年) 『戦争は教室からはじまるー元軍国少女・北村小夜が語る』(「日の丸君が代」強制に反対する神奈川の会・編)(現代書館 2008年) 『画家たちの戦争責任ー藤田嗣治の「アッツ島玉砕」をとおして考える』(梨の木舎 2019年) 共著:『普通学級に入って自立を探る』(明治図書 1985年)
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画家たちの戦争責任 ー藤田嗣治の「アッツ島玉砕」をとおして考える
¥1,870
『画家たちの戦争責任 ー藤田嗣治の「アッツ島玉砕」をとおして考える』 北村小夜 著 発行:梨の木舎 A5変形 並製 140頁 カラー 定価 1,700円+税 ISBN 978-4-8166-1903-8 C0021 あの時、心も身体も国に取り込まれた。今そんな時代になっていないか。戦争画のプロパガンダを、著者自身の体験から検証する。 加藤周一は、この絵に「戦意昂揚の気配さえもない」という。だがあのとき、人びとはこの絵の前で、仇討ちを誓い、戦場に赴いた。「撃ちてし止まん」が巷に満ちた。ヘイトスピーチが溢れ、表現の不自由展が中断される今はどうか? ★「1925年、治安維持法公布の年に生まれ、旗(日の丸)と歌(君が代)に唆されて軍国少女に育った。音楽・絵画など芸術性の高いものほど戦争推進のプロパガンダとして大きな役割を果たし、私たちをそそのかした。プロパガンダに取り込まれた恨みを晴らすとともに、戦争推進の役割を果たした私の責任も明らかにしなければならない。」(著者「まえがき」より) 【目次】 はじめに 軍国少女に育った私から10代のあなたへ 1 戦争画のゆくえ 隠されたままの戦争責任 2 そのころの子どもは、親より教師より熱心に戦争をした 3 戦争画を一挙公開し、議論をすすめよう! あとがき 資料 【著者プロフィール】 北村小夜(きたむら さよ) 1925年生まれ。1950年から86年まで教員(1965年から退職まで特殊学級の担任)。 「障害児を普通学校へ・全国連絡会」世話人。 著書: 『慈愛による差別』(軌跡社 1991年) 『一緒がいいならなぜ分けたー特殊学校の中から』(現代書館 1987年) 『おもちゃ箱ひっくり返したーひとりの女・教師の半生』(現代書館 1988年) 『能力主義と教育基本法「改正」-非才、無才、そして障害者の立場から考える』(現代書館 2001年) 『戦争は教室からはじまるー元軍国少女・北村小夜が語る』(「日の丸君が代」強制に反対する神奈川の会・編)(現代書館 2008年) 共著:『普通学級に入って自立を探る』(明治図書 1985年)
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ラケットはつくれない、もうつくれない 戦時下、下町職人の記憶
¥2,200
『ラケットはつくれない、もうつくれない 戦時下、下町職人の記憶』 青海 美砂 著 五十嵐 志朗 画 発行:梨の木舎 A5判 並製 定価 2,000円+税 ISBN 978-4-8166-1806-2 C0091 戦争が起こり、ラケット作りの技術が人を殺すための道具作りに使われた・・・。 【読者の方の感想 抜粋】 「今、大ブームのテニスを支えていた職人さんがいたこと、戦争によって、人を殺す道具作りをさせられたこと…時間が流れ、時代はかわっても、忘れてはいけないことがたくさんありますね」 「子どもたちの元気な声が聞こえてきそうな下町の暮らし、そこにひたひたと入り込んでくる戦争の不穏な影・・・戦争は嫌だ、という当たり前の感情を口に出すことが許されず、子供にも口止めをしなければならない、それが戦争の真の恐ろしさなのだと思います」 「昭和初期の時代の臭いが、音が、伝わってきました」 「深い思いが文章からも絵からも伝わってきました。ぜひ子どもたちに伝えたい本です」 「職人の誇りと苦悩が痛いほど伝わってきて、すっごくよかったです」 「戦争はもちろん反対ですが、この作品を読んで、もっと積極的に反対していかなければいけないんだと思いました」 【目次】 1 町工場街の子どもたち《1936年(昭和11年)小学校入学》 2 ラケット工場 3 国家総動員法《1937-40(昭和12-5年)小学校2-5年》 4 足で泣く 5 土足の泥 6 留守を守る 7 知人たちの出征《1941年(昭和16年)小学校6年生》《1942年-43年(昭和17年-18年)中学校入学-2年生》 8 我が家で勤労動員《1944年(昭和19年)中等学校3年生》 9 大空襲《1945年(昭和20年)3月 中等学校3-4年生》 10 父さんのふるさと《1945年-47年(昭和20年-22年)中等学校4年生-5年生、卒業》 11 再会《2015年(平成27年)85歳》 あとがき この本を手にとってくださったあなたへ きどのりこ 【著者プロフィール】 青海 美砂 あおみ みさ 東京都出身。荒川区で生まれ、戦災で家が焼かれたため、愛知県へ移住。 幼少期の10年間過ごし、状況。現在にいたる。 日本児童文学者協会会員。ひまわり時計同人、季節風同人会員。 「足で泣く」第15回日本文学者協会・長編児童文学新人賞佳作受賞(本書は「足で泣く」を改稿したものです)。 五十嵐 志朗 いがらし しろう 画歴 二科展入選 2003年~06年 上野の森美術館大賞展入賞 2006年 第一美術協会展入選 2013年 スポンサー賞 2014年 準会員佳作賞 2015年 青山熊治賞 2017年 東京都知事賞
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過去から学び、現在に橋をかける ー日朝をつなぐ35人、歴史家・作家・アーティスト
¥1,980
教科書に書かれなかった戦争68 過去から学び、現在に橋をかける -日朝をつなぐ35人、歴史家・作家・アーティスト 朴 日粉(パク・イルブン)著 発行:梨の木舎 194頁 A5判 並製 定価 1,800円+税 ISBN 978-4-8166-1802-4 C0021 ●日朝交流に力を注いできた研究者や文化人や画家など35人へのインタビュー。 ●戦争前夜ともいわれるなかで、在日として一人の記者として話を聞き、 書き続け、「懸け橋」として立ち続けようとしてきた著者から日本社会への発信である。 【目次】 1 自分で考え、生きていくということ 「自分っちの排外主義をどうするんだ」 文芸評論家・斎藤美奈子 人びとの魂揺さぶる「人間賛歌」 作家・三浦綾子 「この国で覚悟せなんだら、何も言えへん」 随筆家・岡部伊都子 人のせいにしない、自分で考え、責任を引き受けて生きていきなさい 作家・吉武輝子(宮古あずさ) 愛せ! 怒れ! 勇気をもって闘え! ジャーナリスト・松井やより 2 気づきのために対話を重ねる 文化遺産守る平和の巡礼者 画家・平山郁夫 生涯かけて朝鮮観の歪みを正し、民衆の交わりを説く 古代史・上田正昭 他民族への畏敬の念を根本に 考古学・斎藤忠 「はじめに日本人ありき」の思い込み覆す 日本中世史・海民史・網野善彦 騎馬民族説ー朝鮮半島から多くの人々が日本に渡来した 考古学・江上波夫 「積石塚は高句麗に起源」、古代日朝交流の謎解明 考古学・大塚初重 3 声をあげ、行動しよう 日本現代史の闇を追いかけて 詩人・石川逸子 日本人の心の中に深く根をおろしているもの ジェンダー史・若桑みどり 悲しみの歴史が一人で立って、恨を背負う 免疫学者・能楽作者・多田富雄 「朝鮮人の死骸の目ん玉ば、からすが食うとよ」 画家・丸木俊 命ある限り、平和の大切さ訴えたい エッセイスト・海老名香葉子 在日の人は決して忘れない 元参議院議員・清水澄子 4 抑圧されている人の側で ジャーナリストは時代に批判的でなければ 編集者・安江良介 傲慢な権力、差別のシステムに怒りのペン ジャーナリスト・黒田清(矢野宏) 再び加害者の島になってはいけない 報道カメラマン・石川文洋 写真家冥利、厳冬の白頭山を空撮 山岳写真家・岩橋崇至 行動する作家、反戦へ桁外れの行動力 作家・小田実 5 過去の歴史に向き合うこと 「血で書いた真実を明らかにした」半生 歴史家・中塚明 「歴史の闇」を抉るひたむきな探求心と行動力 歴史家・山田昭次 言える時に言っておかねば 俳優・三國連太郎 大きな人間的魅力と包容力 政治家・久野忠治(近藤貞夫) 日朝の国交は2代にわたる悲願 政治家・宇都宮徳馬 6 助けたり、助けられたり、ほんとうの友だちとして 映画を通じて、日朝の懸け橋に 映画監督・山田洋次 助けたり、助けられたり。それが人間の基本 農民運動家・高橋良蔵 リーダーがまともかどうかは、朝鮮学校への態度で分かる 詩人・辻井喬 近い国だから仲良く、話し合ったら分かるはず 作家・渡辺淳一 安倍政権による「歴史認識のクーデター」 作家・辺見庸 あとがき 【著者プロフィール】 朴 日粉(パク・イルブン) 1954年島根県雲南市生まれ。 朝鮮新報文化部記者、2018年5月退社。ジャーナリスト。 著書に『明日に向かって』(彩流社)、『生涯現役在日朝鮮人―愛と闘いの物語』(同時代社)、『いつもお天道さまが守ってくれた―在日ハルモニ・ハラボジの物語』(梨の木舎)など。
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歴史を学び、今を考える -戦争そして戦後
¥1,650
教科書に書かれなかった戦争66 歴史を学び、今を考える -戦争そして戦後 恵泉女学園大学平和文化研究所・戦後70年特別座談会 内海愛子、加藤陽子(著) A5判 154頁 並製 1,500円+税 「身近な出来事から考えていくと、社会の仕組みが見えてきます」内海愛子 「国家は想像を越える形で国民に迫ってくる場合があります」加藤陽子 大きな揺れの時代に、いま私たちは生きている。戦争を経て戦後も72年を迎え、今私たちはどこに向かって進んでいるのか。被害と加害、協力と抵抗の歴史を振り返りながら、キーパーソンのお二人が語る。 時代を読みとるための巻末資料を豊富につけた。特に「賠償一覧年表 戸籍・国籍の歴史・・・人民の国民化」は実にユニークです。 【目次】 はじめに 川島堅二恵泉女学園大学学長 挨拶 1部 歴史を学び、今を考える ・それでも日本人は「戦争」を選ぶのか? 加藤陽子 ・日本の戦後 -少数者の視点から 内海愛子 2部 質問にこたえて 「国家は想像を越える形で国民に迫ってくる場合があります」加藤陽子 「戦争も歴史も身近な出来事から考えていくことで社会の仕組みが見えてきます」内海愛子 資料 (1)英米共同宣言 (2)開戦の詔書 (3)『内外商業新報』1941年12月9日より (4)『朝日新聞』1941年12月9日より (5)敵国および断交国一覧 (6)連合国共同宣言 (7)カイロ宣言 (8)ポツダム宣言 (9)南方の連合国軍陸軍兵力概算表 (10)終戦の詔書 (11)日本軍の武装解除 (12)日本国との平和条約(サンフランシスコ条約)(抄) (13)サンフランシスコ平和条約署名国一覧 (14)通達 法務府民事甲第四三八号 平和条約に伴う朝鮮人、台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について (15)日本のアジア占領・支配と戦争裁判・賠償一覧 (16)日本の賠償および準賠償 (17)賠償プロジェクト一覧(インドネシア) (18)年表 戸籍・国籍の歴史 -人民の国民化 【著者プロフィール】 内海愛子 1941年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部、同大学院文学研究科社会学専攻修了。 在日朝鮮人などマイノリティ・少数者の人権をテーマに研究。1975年から2年間、 インドネシア国立パジャジャラン大学で日本語教師。恵泉女学園大学教授、早稲田 大学大学院客員教授などを経て、現在、大阪経済法科大学アジア太平洋研究セン ター所長。 著書『朝鮮人BC級戦犯の記録』(勁草書房、1982年、のち岩波現代文庫、2015年)『ジャワオランダ人少年抑留所』(梨の木舎、1997年)『戦後補償から考える日本とアジア』(山川出版社、2002年)『スガモプリズン―戦犯たちの平和運動』(吉川弘文館、2004年)『キムはなぜ裁かれたのか―朝鮮人BC級戦犯の軌跡』(朝日選書、2008年)などがある。 加藤 陽子 1960年、埼玉県大宮市(現、さいたま市)生まれ。1989年、東京大学大学院人文社会学系研究科修了(文学博士)。現在、東京大学大学院人文社会学系研究科(日本史学)教授。専門は日本近現代史であり、特に1930年代の外交と軍事を中心に研究を続けてきた。 著書『徴兵制と近代日本1868-1945』(吉川弘文館、1996年)、『満州事変から日中戦争へ』(岩波新書、2007年)、『昭和天皇と戦争の世紀』(講談社、2011年)、『模索する1930年代』(山川出版社、2012年)、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫、2016年)、『戦争まで』(朝日出版社、2016年)などがある。 ISBN 978-4-8166-1703-4 C0021 2017年6月発行
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文玉珠 ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私 [新装増補判]
¥2,200
★朝日新聞2016年5月17日(火)に記事が掲載されました★ 教科書に書かれなかった戦争22 文玉珠 ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私[新装増補判] 哲学・宗教・歴史・地理 文玉珠(著/文 他), 森川万智子(著/文 他) 発行 梨の木舎 A5判 並製 定価2,000円+税 ≪紹介≫ 初版刊行以後19年、話題を呼び版を重ねた。敗戦70年目の今年、文玉珠の足跡をビルマ取材と新資料「朴氏の日記」によって裏付け、新装増補判として世に問う。 ≪目次≫ 1大邱に生まれて 2「満州」東安省へ 3南の国へ 4マンダレーの日々 5最前線へ 6地獄に近い島・アキャブ 7退却ープローム、そしてラングーン 8軍法会議 9解放、母のもとへ 解説・増補版に寄せて・増補版解説 ≪前書きなど≫ 「本書を、音楽の才豊かで、賢くて、負けん気が強くて、一所懸命で、弱いものにやさしかったムン・オクチュさんと、その苦しい記憶を証明することのできない、すべての元慰安婦の女性たちに捧げます」(著者 増補版に寄せてより) 1997年5月、著者は、元慰安婦文玉珠さんの足跡を訪ねて、軍事政権下ビルマに3度目の調査に入った。 3回のビルマ取材と新資料「朴氏の日記」によって、文さんの足跡をさらに裏付ける。 日本軍は、「戦争遂行のために、もっとも蔑んだ形で女性を軍人にあてがった」(著者) 第16回山川菊栄賞受賞 ≪梨の木舎より≫ 1996 年、「慰安婦問題」をはじめ、日本の歴史認識問題がクローズアップされていた頃、初版を刊行いたしました。これまで版を重ねて参りましたが、増補改定・新装版として刊行いたします。戦後70 年を迎え、日本(日本人)の歴史認識問題に一石を投じる書籍 ≪著者プロフィール≫ 森川万智子(モリカワマチコ) 1947年福岡県に生まれる 1965年山口県立下関南高校卒業 1966年~1986年下関郵便局などで働く、全逓労組の役員を15年間続ける 1987年~出版社、編集プロダクション、印刷会社などに勤務 1991年~フリーライター・エディター 1997年 本書により第16回山川菊栄賞受賞 1997 ~98年ビルマにビデオ・カメラをもって長期取材する 2010年~現在 介護施設経営。買春問題ととりくむ会会員 ISBN978-4-8166-1501-6 C3021 奥付の初版発行年月 2015年4月 書店発売日 2015年4月30日
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クワイ河に虹をかけた男 元陸軍通訳 永瀬隆の戦後
¥1,870
教科書に書かれなかった戦争 57 クワイ河に虹をかけた男 元陸軍通訳 永瀬隆の戦後 満田康弘(著/文 他) 発行:梨の木舎 四六判 並製 定価 1,700円+税 ●News 2016.07 著者・満田康弘氏が監督をされた映画「クワイ河に虹をかけた男」が岡山、東京、大阪などで上映中・公開予定です! ●紹介 たった一人の戦後処理 枕木1本、人1人といわれた「死の鉄道」(タイメン鉄道)の贖罪に人生を捧げた男の物語。いつも傍らに妻佳子さんがいた。 永瀬隆 1918年生まれ。陸軍憲兵隊の通訳としてタイ―ビルマ間を結ぶ泰緬鉄道に関わる。復員後、倉敷市で英語塾経営の傍ら、連合国捕虜1万3千人、アジア人労務者推定数万人の犠牲を出した「死の鉄道」の贖罪に人生を捧げる。タイ訪問は135回に及ぶ。本書はその長い道のりを20年にわたって取材してきた地元放送局記者の記録である。 ●目次 プロローグ 3 1章 たったひとりの戦後処理/初めてのタイ同行取材/テレメンタリー/カンチャナブリ/永瀬さんとの出会い/永瀬さんの生い立ち/泰緬鉄道と永瀬さん/オーストラリア人ジャーナリスト/たったひとりの日本人/カンチャナブリの戦争墓地/連合軍の墓地捜索隊/「マザー、マザー」/ジャングルの墓標/不思議な体験/クワイ河平和寺院/戦場にかける橋/本当のモデルは?/和解の再会/泰緬鉄道とは/JEATH戦争博物館/地獄の建設現場/「決して許さない」/スリー・パゴダ・パス/地獄の業火峠/元捕虜の冷たい拒絶 2章 アジア人労務者/元アジア人労務者に会う/声なき声/断崖絶壁の桟道橋/元米軍パイロットと会う/再びタイへ/大量の遺骨/ブーンタムさん/飯ごう一杯の恩義――看護学生に奨学金を/善意のメガネ/白骨街道/なつかしい顔/盛況の移動診療/ デイキンさんをしのぶ/ 3章 ナガセからの伝言/「ナガセ軍曹」登場/2人のナガセ/横浜の暑い日/カウラ事件/バターン死の行進/メーホンソン/日本兵を追悼する/クンユアム星露院/日本兵の夫を探して/タイ国鉄ナムトク線/ナガセからの伝言/オーストラリアの博物館/ ヘルファイヤー・パスを行く/クワイ河まつり/永瀬さんの「遺言」/ 4章 遠かったイギリス/ラジオ事件/子煩悩な父がなぜ…/「戦犯の子」と呼ばれて/ 届いた手紙/50年ぶりの再会/駒井さんの思い/特別感謝状/「親友」からのメッセージ/日英和解への動き/日の丸を焼いた男/青空の平和教室/クラウディア夫人を訪ねる/怒れる元捕虜/駒井さんの訪英/遠かったイギリス 5章 最後の巡礼/クワイ河を見下ろす銅像/佳子さんの異変/泰緬鉄道を世界遺産に/ 月日は流れて/永瀬さんの衰え/最後の巡礼へ/134回目のタイ巡礼/薄れゆく記憶/タイの「子どもたち」/ミャンマー国境へ/クワイ河の虹/佳子さんの不満/ 覚悟の手術/生きている証/4年ぶりのタイへ/まっすぐな心/喜びの再会/銅像と対面/よみがえる初巡礼/鉄橋の二人/兄に会いに…/コップン・カー/さらばカンチャナブリ/佳子さんとの別れ エピローグ/あとがき ●著者プロフィール 満田康弘(ミツダヤスヒロ) 1961年香川県多度津町生まれ。丸亀高校、京都大学法学部を卒業後、1984年、株式会社瀬戸内海放送(KSB)入社。主に報道・制作部門でニュース取材や番組制作に携わる。現在、報道制作ユニット岡山本社グループリーダー。2003年、ウナギにまつわる様々な謎を追った「うなぎのしっぽ、捕まえた!?」で日本民間放送連盟賞受賞など、ドキュメンタリー番組で受賞多数。 上記内容は本書刊行時のものです。
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韓国人元BC級戦犯の訴え 何のために、誰のために
¥1,870
教科書に書かれなかった戦争64 韓国人元BC級戦犯の訴え 何のために、誰のために 李鶴来(イ・ハンネ)著 発行 梨の木舎 254頁 並製 定価1,700円+税 【News】 2016.09.01 週刊仏教タイムスにて紹介されました。 2016.06.22 毎日新聞夕刊にて紹介されました。 戦犯って何だ? 22歳の若者は、シンガポールの独房で、死刑執行の恐怖と8か月向き合ったー 「日本人」として裁かれ、「外国人」として擁護体制から切り捨てられた不条理を問う! 91歳の著者は、今も日本政府に謝罪と補償を求め続ける。 【本文より】 私の頭のなかに常にあるのは、死んだ仲間、その中でも刑死者たちです。彼らは、死刑囚だった私と同じく、誰のために、何のために死ぬのか、苦悶の時を過ごしたはずです。・・・ 故郷を離れ、日本軍の捕虜政策の末端を担わされ、日本の戦犯として責任を負わされて死んでいった仲間たちの無念を多少なりとも晴らすことは、生き残った私の責務なのです。 日本政府は立法を促す司法の見解を真摯に受け止め、立法措置を早急に講じるべきです。・・・ これは朝鮮人BC級戦犯者の私から、日本のみなさんへの問いかけです。 目次 1 「死の鉄路」の捕虜監視員 2 捕虜監視員になるまで 3 敗戦、逆転する立場 4 死刑判決と“俎上生活”の八ヵ月 5 スガモ・プリズンというところ 6 タクシー会社設立と遺骨送還運動 7 条理を求め裁判を闘う 8 日本政府の対応を求め立法運動へ あとがき 「何のために、誰のために」と問い続ける李鶴来さん 内海愛子 ●新聞投稿より ●特定連合国裁判被拘禁者等に対する特別給付金の支給に関する法律案 ●李鶴来・関連年譜 ●主な参考文献 ●本書を読むためのキーワード ISBN978-4-8166-1603-7 C0021 初版発行年月 2016年4月
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ビデオ・メッセージでむすぶ アジアと日本 わたしがやってきた戦争の伝え方
¥1,870
教科書に書かれなかった戦争62 ビデオ・メッセージでむすぶ アジアと日本 わたしがやってきた戦争の伝え方 哲学・宗教・歴史・地理 神 直子(著/文 他) 発行 梨の木舎 A4判 185頁 並製 定価1,700円+税 ≪紹介≫ 何かのきっかけさえあれば、人は変わり動きだす! ●20代の若者が、ライフワークとして「戦争を伝える」を選んだのはなぜか? この10年の歩み ●「過去の戦争を知り、未来のかたちを考えるきっかけをつくる」ことを掲げ、戦争体験者のメッセージを記録し続ける ≪目次≫ 1章 戦後世代が、戦争の傷跡に直面 2章 ブリッジ・フォー・ピースの誕生 3章 ビデオ・メッセージの思いがけない反響 4章 BFPのコンセプトの成り立ち 5章 過去の戦争を知り、未来のかたちを考えるきっかけをつくる 6章 今の時代に大切なこと 前書きなど ≪著者プロフィール≫ 神 直子(ジン ナオコ) 1978年生まれ。青山学院大学文学部英米文学科卒業。一般企業人事企画本部勤務後、NPOに転職。2004年にブリッジ・フォー・ピースを立ち上げ、現在、代表理事を務める。 共著に『私たちが戦後の責任を受けとめる30の視点』(合同出版)、『未来の入会(いりあい)コミュニティ・コモン―市民がつくる地域力拠点 街を元気にする事例』(NPOメディアネットワーク) ≪はじめに≫ 私は、1978年に生まれました。敗戦の年は1945年ですから、30年以上がたっていました。中高生時代までは、「戦争なんて昔のこと」、「自分とは関係がない」と思って過ごしていました。将来、「戦争」と向き合い、「日本人」としてなにかをしたいと考えるようになるとは、想像さえもしていなかったことでした。年号の暗記が苦手で、歴史の成績はよくありませんでした。歴史を単なる出来事として学習していたので、そこに自分との距離を置いたり、壁をつくったりしていたのかもしれません。 そのような教育を受けていた私にとって、歴史を自分のこととして捉えていたドイツ人の女子高生との出会いは衝撃でした。 「私はドイツ人だと思われたくない。かつてナチスがやったことを思うと……」 そう言って、彼女は言葉を詰まらせました。 高校生のときに留学したイギリスでのことです。欧米諸国からの留学生十数人と、日本人五人の混成クラスの授業で、先生が「自分の国に誇りを持っている?」と質問したときに、真っ先に手を挙げたのが彼女でした。自国の歴史を自分に重ねて考えたことなんて一度もなかった私にとって、彼女の発言は驚きでした。「同じ年頃なのに、なぜ感覚がこれほど違うのだろうか」と不思議でした。 次の衝撃は、数年後の大学四年生のときでした。私は、日本の歴史を自分のこととして捉えたい、戦争の傷跡はどこまで深いのか知りたいと考えるようになっていました。青山学院大学の雨宮剛先生(現名誉教授)が主宰しているフィリピンへの体験学習のことを知り、参加することにしました。 三週間の旅程で、仲間は七人でした。 「日本人なんか見たくなかったのに、なんであんたたちはフィリピンに来たんだい!」 私たちに泣きながら詰め寄ってくるおばあさんがいました。新婚当時、夫を日本兵に連行されてしまった方でした。 自分の父親を含む家族12人を目の前で日本兵に殺された人にも出会いました。多くの遺族から直接話をきき、打ちのめされそうになりました。 戦争被害の話を突きつけられて、私の中でなにかが大きく変わり始めました。 これらの「生身の声」に触れたときから、日本人としての自分を強く意識するようになりました。自分のこととして歴史を少しずつ捉えられるようになっていったように思います。 初めてフィリピンを訪問してから三年後、新潟県のある住職から、戦時中に犯した行為を悔やみながら亡くなった元日本兵がいたという話をききました。その話に私は言葉を失うほど動揺しました。戦争は被害者のみならず、加害者にも深い心の傷を残す……。初めて知った瞬間でした。このことが私を突き動かしました。 2004年に私は、日本とフィリピンの戦争体験者の声を映像とともに記録し、日本とフィリピンで上映会を開催して、次世代につなげていくという活動を始めました。 10年の月日が流れた現在は、「過去の戦争を知り、未来のかたちを考えるきっかけをつくる」ことを目標に掲げ、これまでに撮りためた約280人の戦争体験者のメッセージ記録を活用したワークショップを開催するとともに、フィリピンだけではなく、戦争の爪跡が残るアジア諸国との交流活動をおこなうNPO法人ブリッジ・フォー・ピース(以下BFP)を運営しています。 100年経つと歴史は繰り返されると言います。世代が入れ替わるので記憶が風化し、同じ過ちが繰り返される一つのサイクルだと言うのです。2015年には、「終戦」時に20歳だった方は90歳、30歳だった方は100歳です。戦争体験者が一人もいなくなってしまったら、風化は避けられないでしょう。 戦後70年目の今、自分がやってきたことを次世代のために残したい。戦争体験者の生の声はもちろんのこと、日本を取りまくアジア諸国との交流など、私たちのこれまでの取り組みを紹介することで、未来に生きる人の役に少しでも立ちたい。 これは、戦後世代の私が、100年後、200年後、そしてその先の世代に遺したいメッセージです。「戦後」がずっと続くよう、心からの願いを込めて。 神 直子 2015年4月 ISBN978-4-8166-1502-3 C0021 奥付の初版発行年月 2015年5月 書店発売日 2015年5月1日
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犠牲の死を問う 日本・韓国・インドネシア
¥1,760
教科書に書かれなかった戦争61 犠牲の死を問う 日本・韓国・インドネシア 高橋哲哉(著/文), 李泳采(著), 村井吉敬(著), 内海愛子(コーディネーター) A5判 158頁 並製 定価 1,600円+税 「犠牲の死」、あなたはどう考えますか? 靖国問題から犠牲の論理を問い続けてきた高橋哲哉さん、民主化運動の犠牲の意味を考えてきたイ・ヨンチェさん、インドネシアを歩いて、国家も追悼もフィクションだと実感している村井吉敬さん、3人が語る。司会は内海愛子さん。 【目次】 1.佐久で語り合う―「靖国と光州5・18墓地は、構造として似ているところがある」について 犠牲の死を称えるのか・・・・・・・・・・・・・高橋哲哉 ――光州5・18、安重根の行為、カトリックの列福式・・・について 死の意味を付与されなければ残された人々は生きてゆけない・・・・・・・・イ・ヨンチェ 国家というのはフィクションです・・・・・・・・・・・村井吉敬 ――犠牲を追悼することはフィクションの上のフィクションを作る行為 2.東京で語り合う 追悼施設につきまとう政治性、棺桶を担いで歩く抵抗、 国家の弔いには下心(野心)がある、 戦犯裁判を考えてこなかった戦後日本、等々について 【著者プロフィール】 高橋哲哉(タカハシ テツヤ) 1956年、福島県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授。大学では専門の哲学のほか、「人間の安全保障」なども教える。ベストセラーとなった『靖国問題』(ちくま書房 2005)の他、『戦後責任論』(講談社 1999)、『国家と犠牲』(NHK出版 2005)など、著者多数。近著に『犠牲のシステム 沖縄・福島』(集英社新書 2012)、『いのちと責任』(大月書店 2012)高史明との共著、などがある。 李泳采(イ ヨンチェ) 1971年、韓国生まれ。恵泉女学園大学教員。98年来日、専門は日韓・日朝関係。日韓の市民団体の交流のコーディネーター、韓国語、韓国映画や映像を通して現代を語る市民講座の講師を務める。「ヤスクニの闇に平和の灯を!東アジア4地域(日本・韓国・台湾・沖縄)キャンドル行動実行委員会」事務局、光州5.18財団発行の「アジアジャーナル」海外編集委員。 著書に『韓流がつたえる現代韓国』(梨の木舎 2010)、『アイリスでわかる朝 鮮半島の危機、(朝日新聞社 2010)、『なるほど!これが韓国か---名言・流行語・造語で知る現代史』(朝日新聞社 2006)、『朴正煕―動員された近代化』(曺喜昖著, 李泳釆監訳, 牧野波訳)(彩流社 2013)など 村井吉敬(ムライ ヨシノリ) 早稲田大学大学院中退。東南アジア社会経済論。1975-77年、インドネシア・パジャジャヤラン大学留学。上智大学外国語学部、早稲田大学アジア研究機構教授(―2013年3月)。上智大学グローバル・コンサーン研究所客員研究員。2013年3月没。 著書に、『スンダ生活誌 変動のインドネシア社会』(日本放送出版協会 1978)、『小さな民からの発想 顔のない豊かさを問う』(時事通信社 1982)、『エビと日本人』(岩波新書 1988年)、『エビと日本人Ⅱ』(岩波新書 2007)、『ぼくの歩いた東南アジア』(コモンズ 2009)、『パプア 森と海と人びと』(めこん 2013)など多数 内海愛子(ウツミ アイコ) 早稲田大学大学院(社会学)修了。在日朝鮮人などマイノリティの人権問題に関心をもって活動・研究。日本朝鮮研究所、インドネシア国立パジャジャラン大学、恵泉女学園大学、早稲田大学大学院をへて、現在、大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター特任教授。 著書に、『朝鮮人BC級戦犯の記録』(勁草書房 1982)、『スガモプリズン――戦犯たちの平和運動』(吉川弘文館 2004)、『日本軍の捕虜政策』(青木書店 2005)、『平和の種をはこぶ風になれ』(梨の木舎 2007)(ノーマ・フィールドとの共著)、『東京裁判――捕虜関係資料』(全3巻)(共編著 現代史料出版 2012) (上記内容は本書刊行時のものです。) 【あとがきから抜粋】 私が大学生の時、光州は民主化運動の聖地だった。全国の大学生たちにとって、5月に光州を訪れ、望月洞墓地を巡礼することが、重要な儀式になっていた。しかし、当時は望月洞墓地の周辺、光州全体は戦闘警察に包囲され、韓国民主化運動弾圧の象徴でもあった。90年代、金泳三大統領と金大中大統領が登場して以降、真相究明が進められた。国立墓地が造成され、被害者への補償も行われた。今では、5月18日は国家記念日として、一部地域ではあるが記念式典の様子が生中継されるまでになっている。 「光州」と聞くだけで、私は胸が重くなり、複雑な感情を抱く。それは今でも変わりない。だが、30年を経った今日、日本やアジアの各地から多くの人びとが記念シンポジウムに参加し、観光などの形で光州を訪れるようになった。訪れることさえ禁止されていた時代を考えると、30年という時間の流れとともに、光州が訴えてきた韓国の民主主義のあり方が大きく変わってきていることを考えさせられる。 1998年、私は日本に留学した。留学前、韓国で考えていた靖国といえば、日本の首相が参拝し、戦争を美化する場所というイメージしかなかった。2006年8月15日、小泉首相の靖国「公式」参拝に抗議して、韓国や台湾から遺族を含め3000以上の人びとが来日した。当時、立命館大学教授だった徐勝先生から、いつものように突然、深夜に電話がかかってきた。ヤスクニキャンドル行動の「事務局をやれ」と言う。「こういう問題は、日本人自らやるべきです」と断ったが、「日本人自らやらないから」という返事だった。それ以降、「ヤスクニの闇に平和の灯を!東アジア4地域(日本・韓国・台湾・沖縄)キャンドル行動実行委員会」の事務局に毎年加わってきた。多くの人びとから「靖国の闇」の本質的な問題を学ぶ中で、日本社会の歴史問題が解決されないその根底に、靖国史観や靖国問題が根深く存在していることが少しずつ分かってきた。また、死者に対する美化や顕彰の問題は、日本だけの問題ではないと考えるようになった。 韓国でも国軍兵士や独立運動家の死に対する美化や英雄化は、国家主義やナショナリズムを形成していくうえで、重要なイデオロギーとして作用している。それだけでなく、民主化運動の象徴である光州事件の真相究明の後、望月洞の犠牲者が国立墓地に移葬された。彼らに暴力を加えた国軍の加害者と民衆の被害者が、同時に国家によって追悼されるという事態となった。日本国家が追悼という名の下に死者を美化することの問題性を訴え、靖国を批判すればするほど、韓国の民主化精神の象徴として光州事件の犠牲者を国家が追悼することの問題性も見えてきた。 軍国主義による犠牲の象徴である靖国と民主主義闘争による犠牲の象徴である光州は、質が違うものであり、その歴史も背景も経緯が異なっている。光州と靖国を同じ天秤にかけて比較することは、私の短い民主化運動の経験から見ても言語道断である。質が違うものを比較すること自体に違和感を覚える人も韓国民主化運動陣営には多くいるだろう。 光州の死者への英雄化と国立墓地への埋葬がなされ、民主化運動の抵抗の精神が形骸化されつつある現状を見ると、光州や韓国の民衆の犠牲に対して再び原点に立ち返り考える必要がある。光州出身であり、いわゆる光州精神で自分の民主化運動と現在の生き方を考えてきた者として、光州の現在の追悼のあり方に関して、今の時代だからこそ取り上げるべきだと思った。それは、まさに我々の中に存在しているもう一つの国家意識や構造的な暴力とも向き合いたいという気持からでもあった。・・・・・ 李泳采(イ・ヨンチェ) 2013年7月7日 ISBN 978-4-8166-1308-1 C0022 2013年8月発売