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7人の戦争アーカイブ あなたが明日を生き抜くために
¥2,420
教科書に書かれなかった戦争 わたしたちの《歴史総合》PART75 『7人の戦争アーカイブ あなたが明日を生き抜くために』 内海愛子 編 鶴見和子/「水俣とアニミズム」 北沢洋子/反アパルトヘイト 鄭敬謨/在日評論家 高崎隆治/『戦争文学通信』 岡本愛彦/演出家「わたしは貝になりたい」 湯浅謙/軍医『消せない記憶』 亀井文夫/映画監督『戦ふ兵隊』 発行:梨の木舎 A5 254頁 定価 2,200円+税 ISBN 978-4-8166-2401-8 C0021 この危うい時代を私たちはどう生きるのか? 「聖戦」とは、「東洋平和」とは何だったのか? 実態は「強制連行」であり、「従軍慰安婦」であり、「731部隊」ではなかったか。 戦争の時代を生きた7人から、あなたにつなぐ《歴史総合》。 目次 鶴見和子:「小さな民」の視点から 北沢洋子:カイロで目からウロコが落ちた 鄭敬謨:板門店で“アメリカ”が見えた 高崎隆治:戦争と性――語られなかった強かん 岡本愛彦:軍隊とはこんなところだった 湯浅謙:「生体解剖」は日常業務だった 亀井文夫:占領軍に没収された『日本の悲劇』 著者 内海愛子(ウツミ アイコ) 早稲田大学大学院文学研究科社会学専攻・歴史社会学・日本ーアジア関係史 早稲田大学平和学研究所招聘研究員・恵泉女学園大学名誉教授 主要著作: 『朝鮮人BC級戦犯の記録』勁草書房、1982年・岩波現代文庫、2015年 『死刑台から見えた二つの祖国』(共編著)梨の木舎、1992年 『日本軍の捕虜政策』青木書店、2005年 『村井宇野子の朝鮮・清国紀行』(編)梨の木舎、2021年
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大衆映画の戦後社会史ーあの時代の風景と人びとの気分を観直す
¥2,750
『大衆映画の戦後社会史ーあの時代の風景と人びとの気分を観直す』 天野惠一 著 発行:梨の木舎 A5 272頁 定価 2,500円+税 ISBN 978-4-8166-2402-5 C0074 邦画は単に「娯楽の王様」だったわけではない。 「特攻」から戦争を、「ゴジラ」から戦後の高度成長を、「若者たち」から戦後民主主義を描いてきた。 映画の世界から戦後日本の社会史を考える論考エッセイ集。 目次 Ⅰ 邦画は単に「娯楽の王様」だったわけではなかった ◆戦後の太陽・石原裕次郎/◆原爆と戦後、「実在」と「虚妄」をめぐって/◆電力と「破砕帯」(断層)、そして死者について戦後史の中で考える/◆〈偽大学生〉に出会うまで/◆〈明朗な不良性〉をめぐって/◆任侠の美学から野良犬の〈醜学〉へ――文太映画の時代――/◆敗戦70年ー「特攻」後70年〈大西瀧治朗〉という問題/◆『あゝ決戦航空隊』(監督・山下耕作 1974年、東映)/◆象徴天皇制国家70年――〈天蓋つき戦後民主主義〉という問題/◆敗戦最大の政治神話――「聖断」神話をめぐって/◆ヒバク七〇年――〈被爆都市長崎〉の「暴力団」(ヤクザ)映画/◆60年安保闘争と2015年の闘争――「若者たち」の運動をめぐって/◆国家的「公」と「私」的利害優先原理の民主主義/◆戦争は〈人間の顔〉をしていない/◆〈象徴天皇制〉と「グラマ島」デモクラシー/◆惨事便乗型国家〈軍事主義〉の正体――「ゴジラ」と「シン・ゴジラ」他 著者 天野惠一(アマノ ヤスカズ) 1948年生まれ。著書:『危機のイデオローグ 清水幾太郎批判』批評社、1979年/『皇室情報の読み方 天皇制イデオロギー論』社会評論社、1986年/『情報社会の天皇制 続天皇制イデオロギー論』社会評論社、1988年/『全共闘経験の現在』インパクト出版会、1989年、増補新版1997年/『マスコミじかけの天皇制』インパクト出版会、1990年/『メディアとしての天皇制』インパクト出版会、1992年/『「恋愛結婚」じかけの天皇制』インパクト出版会、1993年/『「無党派」(ノンセクト)という党派性 生きなおされた全共闘経験』インパクト出版会、1994年/『反戦運動の思想 新ガイドライン安保を歴史的に問う』論創社、1998年/『[無党派運動]の思想[共産主義と暴力]再考』インパクト出版会、1999年/『沖縄経験〈民衆の安全保障〉へ』社会評論社、2000年/『「日の丸・君が代」じかけの天皇制』インパクト出版会、2001年/『災後論 核(原爆・原発)責任論へ』インパクト出版会、2014年
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敵対から協力へーベトナム戦争と枯れ葉剤被害ー
¥3,080
『敵対から協力へーベトナム戦争と枯れ葉剤被害ー』 教科書に書かれなかった戦争Part74 レ・ケ・ソン、チャールズ・R・ベイリー 著 北村元、野崎明、生田目学文、石野莞司、桑原真弓 訳 発行:梨の木舎 A5判 284頁 定価 2,800円+税 ISBN 978-4-8166-2205-2 C0030 戦争は最大の環境破壊だ! 戦争終結47年後の今もエージェントオレンジ/ダイオキシンは人と自然を破壊し続けている。 絶望的な脅威に向き合ったかつての敵2人の研究者が、世界へ発信する。 ウクライナ戦争のいまだからこそ私たちが知っておくべきこと。 1961年8月10日 枯葉作戦始まる1975年ベトナム戦争終了したが、 ベトナムにはエージェントオレンジにより傷ついた人々と大地が残された。 2007年2月(戦争終了後32年目)ベトナム人とアメリカ人による市民委員会「エージェントオレン/ダイオキシンに関するアメリカ・ベトナム対話グループが結成され、解決への大きな一歩を踏み出した。 本書はダイオキシン汚染の実態、被害者の現実、染色体損傷、森林破壊の影響、アメリカとアメリカ人のかかわり、被害者に必要な支援など。 目次 本書を故ヴォー・クイ教授に捧ぐ 日本の読者への手紙 レ・ケ・ソン 日本語版の読者のみなさまへ チャールズ・R・ベイリー 著者紹介 序文:戦争の痛手 エッセイ:私たちはいかにしてここにたどり着いたか、そして次の目標は何か 1章 :南ベトナムでは今もなおダイオキシン汚染が存在しているのか 2章 :エージェントオレンジ/ダイオキシンに誰が曝露したのか。また、ベトナム にはエージェントオレンジ被害者はどのくらいいるのか 3章 :ダイオキシンへの曝露は先天性欠損症と生殖障がいをもたらすのか 4章 :森林の生態はエージェントオレンジの撒布による影響から回復したか 5章 :アメリカ人はエージェントオレンジについて何を知り、どのように支援するつもりなのか 6章 :ベトナムはエージェントオレンジ被害者のために何をしているか 7章 :アメリカはこれまで何をしてきたのか 8章 :エージェントオレンジ被害者には何が必要か 9章 :エージェントオレンジの問題はアメリカもしくは他の地域の裁判所で解決 できるのか 10章:エージェントオレンジをめぐる2国間関係は時間とともにどのように変化し、 今日の状況はどうなっているのか 終章:エージェントオレンジの未来 謝辞 附録 1:ダイオキシンとは ? 附録 2:エージェントオレンジ/ダイオキシンに関するベトナム政府の最近の科学研究(2011~2015年) 附録 3:フォード財団助成金受領者:ベトナム・エージェントオレンジ/ダイオキシン・プログラム(2000~2011年) 附録 4:エージェントオレンジの55年:重要な声明、決定および出来事の年表(1961~2016年) 訳者あとがき 著者 レ・ケ・ソン(Le Ke Son) 1954年ベトナム生まれ。陸軍医科大学卒業後、医学博士号(毒学)を取得。2004年から2014年まで、天然資源環境省33委員会事務局長として戦争遺産処理の一番大事な時に、ダイオキシン汚染対策や被害者救援対策などに奔走。環境保護の国家管理に努め、国と人民に奉仕した。主な著作:『ベトナムのホットエリアにおけるダイオキシン汚染』(ベトナム語)、など多数。 チャールズ・R・ベイリー(Charles R. Bailey) 1945年生まれ。プリンストン大学卒業後、コーネル大学で博士号取得(農業経済学)。その後フォード財団駐在員として、バングラデシュ、インド、ネパール、スリランカで活躍。特にベトナムではレ・ケ・ソン氏とタッグを組んで、ダイオキシン除染の実現とエージェントオレンジに起因する枯れ葉剤障がい者支援に奔走。専門分野は公共政策。主な論文:“Delivering Services to People with Disabilities Associated with Exposure to Dioxin in Vietnam,” June 2, 2014, The Aspen Institute など。
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忘れられた思想家 山川菊栄
¥7,480
『忘れられた思想家 山川菊栄』 フェミニズムと戦時下の抵抗 鈴木裕子 著 発行:梨の木舎 A5 並製 728頁 定価 6,800円+税 ISBN 978-4-8166-2203-8 C0021 1910 年代後半、菊栄は「女われら」の自主自立を訴え登場した。 女性を性役割分業へと強制する男社会の告発、良妻賢母主義への論駁は、今日のフェミニストの主張にまっすぐにつながる。 それにつけても日本もまた国内にしっかりした民主的政権を確立し、社会的、経済的な改革を行うことが必要 〔中略〕 アジアの進歩的勢力が何百年の暗黒時代を蹴破って力強く前進しつつある時、日本だけいつまでも半独立の姿で光に背をそむけ、腐敗した泥沼の中に浮き沈みしていいものでしょうか。 「アジア社会主義会議と日本」『婦人のこえ』 1954年12月号 菊栄は、1910年代後半、論壇に登場した。女性を性役割分業へと強制させる、新旧の良妻賢母主義に激しく駁論し、「女われら」の息吹もなまなましく、女性の自主、自立を力強く訴えた。男本位につくられた社会に対する告発で、まさしく今日のフェミニストの主張に直結するものであった。山川菊栄の廃娼論、「母性と労働」両立論、家事労働論、産児調節論、セクシュアリティをめぐっての「性暴力」認識などは、今日もなおみずみずしさを失ってはいない。 (中略) 当時の平塚らいてうの最大の関心は、女性としての「自我」の拡充にあった。菊栄にとっては、 資本主義社会の不平等、不公正にあった。そのもとにあって非人間的に遇され、差別と蔑視の境 遇に追いやられている、「社会的弱者」に対する視点がより強く存在していたことに尽きる。(本文より) 【目次】 はしがき 序章 1章 菊栄の生い立ち 2章 社会主義、フェミニズムへの関心、山川均との結婚 3章 山川菊栄のフェミニズム思想と反軍国主義 4章 山川菊栄の「帝国のフェミニズム」批判と階級社会批判 5章 社会主義女性思想と社会主義運動の展開 6章 労働組合婦人部論争と「婦人同盟」問題 7章 帝国のフェミニズム・植民地主義批判 8章 山川菊栄の時局・戦争批判 9章 「国体観念」呪縛、民衆と女性の生活の疲弊 10章 戦争抵抗者の生き残り戦略ー生活者の視点を貫く 11章 敗戦と山川菊栄 12章 非武装中立・平和主義・社会主義へ 【著者プロフィール】 鈴木 裕子(すずき ゆうこ) 1949年東京生まれ、早稲田大学院文学研究所修士課程日本史学専攻修了。 労働運動史・組合史編纂・執筆に携わる一方、女性史・社会運動史研究に従事。 各地の大学での非常勤講師を経て、早稲田大学文学学術員元教員。早稲田大学ジェンダー研究所招聘研究員。 主要著書:『広島県女性運動史』ドメス出版、『フェミニズムと戦争協力 婦人運動家の戦争協力』マルジュ社、 『山川菊栄集』岩波書店、『堺利彦女性論集』三一書房、『フェミニズム、天皇制、歴史認識』インパクト出版会、 『ジェンダーの視点からみる日韓現代史』梨の木舎、『金子文子 わたしはわたし自身を生きる』梨の木舎 など多数。
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走る高齢者たち オールドランナーズヒストリー
¥2,200
『走る高齢者たち オールドランナーズヒストリー』 学徒出陣・ JSP(降伏日本軍人)・復員・国労書記・詩人・ランナー 福田 玲三 著 発行:梨の木舎 A5判 並製 188頁 定価 2,000円+税 ISBN 978-4-8166-2006-5 C0021 平和でなければ走れない!! 96歳、走るのはボクの夢だった。 (「はじめに」より) スイス西部、レマン湖の北岸にある観光・保養都市ローザンヌ。この地で2018年10月28日に行われたローザンヌマラソンは最悪の気象条件下だった。当日朝の気温は°5C、みぞれが降っていた。日本から同伴してくれた長女と一緒に、現地に住む次女の夫にスタート地点まで送ってもらい車を降りるとき、みぞれは一段と激しくなってきた。 木陰で雨をしのぎ、防寒用のオーバーは着たまま、その上にレインコートを羽織った。傍らのランナーたちを見ると、オーバーで隠れた背中のゼッケンをズボンに移している。「いまさら手間のかかることを…」と思いながら、私も慎重を期して、娘に手伝ってもらい、ゼッケンを背中から脚に移す。頭には毛の帽子、首には白いタオルを巻き、手には毛糸の手袋、これでノルデックポールを握る。完走したい! ・・・(中略)・・・ 雨は復路のころには上がり、気温も高まった。湖畔のベンチから波静かなレマン湖を眺め、心安らかなひと時に我を忘れた。こうして国内外のマラソン大会に参加できるのも、大きな戦争がないからだと思わずにはいられなかった。人生100年時代といわれる今、走り、歩く喜びをともに分かち合いたい。その思いを伝えたくて一冊の本にまとめ、共に戦争の時代を生き抜いた全国各地の最高齢ランナーの記録も載せた。お金を掛けないで健康を願っている人たちへのヒントになれば、無上の喜びだ。人々に感謝し、歩くことは万病の薬と念じながら、私は今日も歩き、その途中で筋トレに励んでいる。2020年東京オリンピックは新型コロナウイルスが世界的な広がりをみせて感染・拡大した影響でパラリンピックを含め今年夏の開催が来年夏に延期されたが、平和があってこそのオリンピックだ。「はじめに」の最後に生存している戦場体験者の一人として、「平和だからこそ走れる」ということ一言を明記しておきたい。 【目次】 はじめに~スイス・ローザンヌマラソン大会に参加して わたしの前半生 ︱︱生いたち・兵役・JSP・復員…… 1 生い立ち 2 兵役 3 JSP(日本降伏軍人)としてマレー半島で労役 4 復員・国労書記・国鉄詩人連盟 わたしの後半生 ︱︱平和だから走れる・走る喜び「完全護憲の会」と遅咲きのランナー 1「完全護憲の会」の設立 ︱︱90歳から 2 マラソン詩集 ︱︱55歳から82歳までの作品 3 ホノルルマラソン報告 (2016年12月) 4 最高齢ランナーを訪ねて 中野陽子さん(84歳)~さわやか市民ランナー 阿南重継さん(95歳)~2つのギネス認定証 鈴木金作さん (94歳)~地域に根差したマラソン人生 吉田隆一さん (91歳)~走れる幸せに感謝 出島義男さん(98歳)~マラソン人生 いろは歌 永田光司さん(99歳)~700回を超える大会出場 塩田富治さん(93歳)~ホノルルマラソン“炎のランナー” 参考文献・資料 あとがきに代えて ~96歳・がんを克服し歩行も再開 【著者プロフィール】 福田 玲三(ふくだ れいぞう) 1923年11月29日生まれ、96歳。岡山県津山市出身。 学歴 大阪外国語学校(現大阪大学外国語学部)フランス科卒 兵歴 1943年 学徒出陣で入営 1947年11月 南方より帰国、復員 職歴 1949年 国鉄労働組合に書記として就職 1984年 定年退職
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慈愛による差別 象徴天皇制・教育勅語・パラリンピック 新装増補版
¥2,420
教科書に書かれなかった戦争 PART70 『慈愛による差別 象徴天皇制・教育勅語・パラリンピック 新装増補版』 北村小夜 著 発行:梨の木舎 四六判 並製 260頁 定価 2,200円+税 ISBN 978-4-8166-2003-4 C3021 北村小夜(95歳)さんは今、日本の現状に強い危惧を抱いている。身体も心も国に取り込まれてしまったのではないか! 東日本大震災と五輪誘致で「みんな化」が進み、日本中に同調圧力と忖度が拡がっている。象徴天皇制化の天皇の「巡行」のなかでなされる「慈愛」による差別、今も教育勅語から抜けられない日本人、健常者を奨励し傷害者を差別するパラリンピック。 ※本書の底本は、1991年軌跡社から刊行された『慈愛による差別ー障害者は天皇制を見限り始めた』。このたび増補リメイクし新装増補版として復刊! 【目次】 序章 軍国少女はつくられた 第1章 教科書にみる天皇・障害者 第2章 分に応じる障害者・分を越える障害者 第3章 障害者を排除し続ける学校 第4章 「健康」もスポーツも人間のものでなくなった 第5章「巡行」にあやかる人・犠牲になる人 増補1 天皇制と道徳の教科化 増補2 パラリンピックは障害者差別を助長する 増補3 教育勅語から脱却できない日本人 北村小夜さんは、現在94歳、1925年治安維持法の年に生まれた。 天皇のために死んで靖国に祀られるため看護婦の道を選び、敗戦は満州で迎え、めぐり合わせで八路軍と行動を共にした。その1年の間に、自分の考えは間違っていたと気付く。 日本に帰国後は、教師になり特殊学級の担任をし、さまざまな体験の中で、発言し行動している。子どもを分けてはいけないことに気づき、共にまなぶ地域の学校づくりを目指してきた。 【著者プロフィール】 北村小夜(きたむら さよ) 1925年生まれ。1950年から86年まで教員(1965年から退職まで特殊学級の担任)。 「障害児を普通学校へ・全国連絡会」世話人。 著書: 『慈愛による差別』(軌跡社 1991年) 『一緒がいいならなぜ分けたー特殊学校の中から』(現代書館 1987年) 『おもちゃ箱ひっくり返したーひとりの女・教師の半生』(現代書館 1988年) 『能力主義と教育基本法「改正」-非才、無才、そして障害者の立場から考える』(現代書館 2001年) 『戦争は教室からはじまるー元軍国少女・北村小夜が語る』(「日の丸君が代」強制に反対する神奈川の会・編)(現代書館 2008年) 『画家たちの戦争責任ー藤田嗣治の「アッツ島玉砕」をとおして考える』(梨の木舎 2019年) 共著:『普通学級に入って自立を探る』(明治図書 1985年)
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金子文子 わたしはわたし自身を生きる 手記・調書・歌・年譜
¥3,960
※2020年5月3刷決定! [増補新版] 金子文子 わたしはわたし自身を生きる 手記・調書・歌・年譜 鈴木 裕子(編) A5判 310頁 並製 定価 3,600円+税 大逆罪で死刑判決を受け、獄中で縊死。弱いもの小さいものに心をよせ、明快な言葉と論理で天皇制に直接対峙し、自分の生を生ききった、23歳の生涯。 ●獄中手記「何が私をこうさせたか」全文、裁判尋問調書、獄中歌集を収録 ●2019年に映画『金子文子と朴烈』(イ・ジェフン、チェ・ヒソ出演、イ・ジュンイク監督)が公開され、現在DVD販売中。 金子文子は1903年横浜に生まれ、大逆罪で死刑判決を受け、減刑されるが獄中で縊死。極貧のなかで子ども時代をすごし、祖母に虐待を繰り返される朝鮮での暮らしのなかで、3.1独立運動に遭遇、朝鮮独立運動に深く共感する。弱いもの小さいものに心をよせ、明快な言葉と論理で天皇制に直接対峙し、自分の生を生ききった、23歳の生涯であった。 ●「権力の前に膝を折って生きるよりは、死して自分の裡に終始」した、金子文子の生涯を浮き彫りにする。増補新版の刊行! ●二〇〇六年に刊行した旧版(品切)に収録できなかった部分をいれ、獄中手記「何が私をこうさせたか」を全文収録 ●この一冊で金子文子の思想と行動がわかる ※収録に当っては、旧著と同様、旧字体を新字体に、歴史的かな遣いを現代かな遣いに改め、さらに難読語はかなに開き、ルビを付す。また旧著に付した年譜に加筆削除し、参考文献等をも挿入 【目次】 ・何が私をこうさせたか 忘れ得ぬ面影 栗原一男/添削されるに就いての私の希望/父/母/母の実家/新しい家/朝鮮での私の生活/村に還る/虎口へ/父よさらば/東京へ/新聞売子/露店商人/女中奉公/街の放浪者/仕事へ-私自身の仕事へ! ・調書 ・獄中歌集 ・解説 鈴木裕子 ・金子文子年譜 ・あとがき 【著者より】 『金子文子 わたしはわたし自身を生きる』増補新版に寄せて 今般、二〇〇六年に刊行した『金子文子 わたしはわたしを生きる』が品切れになったのに際し、旧版では、全文を収録できなかった『何が私をこうさせたか』を全部収録しました。収録に当っては、旧著と同様、旧字体を新字体に、歴史的かな遣いを現代かな遣いに改め、さらに難読語はかなに開き、ルビを付けました。また旧著に付した年譜に加筆削除し、参考文献等をも挿入しました。 金子文子の思想と行動は、本書を読まれることによって、その大凡を知ることができるかと存じます。文子が死去してから八十六年余経過しますが、文子の願いとは逆に、日本と韓国朝鮮との間には、さまざまな未解決の問題があり、また天皇制は、戦前戦中の神権天皇制から象徴天皇制と衣を脱ぎかえたものの、依然として存在し、市民の上に重くのしかかっています。 天皇制は、まだこの国ではタブーとされ、天皇・天皇制の批判をすることは、事実上、メジャーな言論機関からは排除されています。このため、植民地支配、侵略戦争に天皇や天皇制が大きな責任を有し、その罪について明らかにすることはなかなか困難といえます。 さて、日本軍「慰安婦」(性奴隷)問題が争点化されてから二十二年あまり経過しますが、この「慰安婦」制度を生み出したのは、天皇制国家であり、天皇の軍隊といわれた「皇軍」、すなわち日本軍です。この問題も依然と未解決のまま、被害者は年々亡くなっています。 天皇・天皇制は、日本以外の地域の人びとにとっては、大方忌わしいものと認識されているでしょう。しかし、日本社会では、そうした歴史認識を共有できていません。この結果、とりわけ韓国朝鮮、中国台湾の人びとと日本市民との間にいまも歴史認識・事実認識の上で大きな隔たりがあるといえるでしょう。 金子文子は、少女期を植民地朝鮮で暮し、朝鮮人にたいする苛酷な仕打ち、虐待、搾取、酷使を目の当たりにし、植民地支配、さらに帝国主義の基盤となっている天皇制の矛盾を鋭く衝いた女性です。わずか二十三年の人生でしたが、わたくしたちが金子文子に学ぶものはいまだに大きいものがあると思います。 最後に、旧著で「年譜」を作成してくださった亀田博さん、佐藤信子代表をはじめとするやまなし金子文子研究会の方がた、また本書を刊行してくださった梨の木舎の羽田ゆみ子さんに感謝します。 2013年2月25日 鈴木裕子 【著者プロフィール】 鈴木 裕子(スズキ ユウコ) 1949年東京生まれ。早稲田大学大学院文学研究科修士課程日本史学専攻修了。 主な単著に『女たちの戦後労働運動史』(未来社、1994年)、『フェミニズムと朝鮮』(明石書店、1994年)、『戦争責任とジェンダー』(未来社、1997年)、『天皇制・「慰安婦」・フェミニズム』(インパクト出版会、2002年) 主要編著・共著に『山川菊栄評論集』(岩波書店、1990年)、『日本女性運動資料集成』全11巻(不二出版、1993〜1998年) 『ジェンダーの視点からみる日韓近現代史』(梨の木舎 2005年) (上記内容は本書刊行時のものです。) ISBN 978-4-8166-1301-2 C0023 2013年3月発売
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わたしの戦後史
¥2,860
『わたしの戦後史』 95歳、大正生れ、草の根の女のオーラルヒストリー 戦争の「痛み」を知る世代が求め続けたもの 谷 たみ 語り 堀江 優子 編著 発行:梨の木舎 A5 並製 264頁 定価 2,600円+税 ISBN 978-4-8166-2001-0 C0021 戦争の「痛み」を受け継ぐということはどういうことだろう? 大正生れ、95歳の谷さんの戦後史から、その意味を考える。 語り手の明晰な記憶力と聞き手のすぐれた調査能力により浮かび上がる詳細な戦後の民衆史。人名や事項の充実に驚嘆する。 推薦・上野千鶴子(社会学者) 女も戦争の加害者だった...「黙っていたら戦争につながる」と声を挙げつづけた95年の生涯。 戦後日本の良心は、谷たみさんのような草の根の活動に支えられてきた。 ひとりの女性のオーラルヒストリーから見えてくる戦後反戦運動史。 【目次】 はじめに 1 人生の出発点 -戦時下に育ち、敗戦後の社会へ 2 堀川愛生園の子どもたちと暮らす 3 戦争責任を考える、市民運動に関わる 4 入管体制・国籍法の問題に関わる 5 「アジアの女たちの会」での活動 6 「慰安婦」問題に関わる 7 平和と人権、脱原発運動 注 おわりに 【著者プロフィール】 谷 たみ(たに たみ) 1924(大正13)年生れ。1944年9月東京女子大学高等学部卒業。1947年福島県の堀川愛生園に入職して14年間勤務。その後東京に戻り、中央公論社の校正の仕事に就く。ベトナム反戦運動に参加して以来、仕事や家庭生活の傍ら数々の市民運動に関わる。 堀江 優子(ほりえ ゆうこ) 1960(昭和35)年生れ。1983年東京女子大学文理学部史学科卒業。出版社勤務を経て、編集関係の仕事に従事。 共著に『自然なお産を求めて―産む側からみた日本ラマーズ法小史』(杉山次子・堀江優子共著、勁草書房、1996年)、編著に『戦時下の女子学生たち―東京女子大学に学んだ60人の体験』(教文館、2012年)がある。
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画家たちの戦争責任 ー藤田嗣治の「アッツ島玉砕」をとおして考える
¥1,870
『画家たちの戦争責任 ー藤田嗣治の「アッツ島玉砕」をとおして考える』 北村小夜 著 発行:梨の木舎 A5変形 並製 140頁 カラー 定価 1,700円+税 ISBN 978-4-8166-1903-8 C0021 あの時、心も身体も国に取り込まれた。今そんな時代になっていないか。戦争画のプロパガンダを、著者自身の体験から検証する。 加藤周一は、この絵に「戦意昂揚の気配さえもない」という。だがあのとき、人びとはこの絵の前で、仇討ちを誓い、戦場に赴いた。「撃ちてし止まん」が巷に満ちた。ヘイトスピーチが溢れ、表現の不自由展が中断される今はどうか? ★「1925年、治安維持法公布の年に生まれ、旗(日の丸)と歌(君が代)に唆されて軍国少女に育った。音楽・絵画など芸術性の高いものほど戦争推進のプロパガンダとして大きな役割を果たし、私たちをそそのかした。プロパガンダに取り込まれた恨みを晴らすとともに、戦争推進の役割を果たした私の責任も明らかにしなければならない。」(著者「まえがき」より) 【目次】 はじめに 軍国少女に育った私から10代のあなたへ 1 戦争画のゆくえ 隠されたままの戦争責任 2 そのころの子どもは、親より教師より熱心に戦争をした 3 戦争画を一挙公開し、議論をすすめよう! あとがき 資料 【著者プロフィール】 北村小夜(きたむら さよ) 1925年生まれ。1950年から86年まで教員(1965年から退職まで特殊学級の担任)。 「障害児を普通学校へ・全国連絡会」世話人。 著書: 『慈愛による差別』(軌跡社 1991年) 『一緒がいいならなぜ分けたー特殊学校の中から』(現代書館 1987年) 『おもちゃ箱ひっくり返したーひとりの女・教師の半生』(現代書館 1988年) 『能力主義と教育基本法「改正」-非才、無才、そして障害者の立場から考える』(現代書館 2001年) 『戦争は教室からはじまるー元軍国少女・北村小夜が語る』(「日の丸君が代」強制に反対する神奈川の会・編)(現代書館 2008年) 共著:『普通学級に入って自立を探る』(明治図書 1985年)
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ラケットはつくれない、もうつくれない 戦時下、下町職人の記憶
¥2,200
『ラケットはつくれない、もうつくれない 戦時下、下町職人の記憶』 青海 美砂 著 五十嵐 志朗 画 発行:梨の木舎 A5判 並製 定価 2,000円+税 ISBN 978-4-8166-1806-2 C0091 戦争が起こり、ラケット作りの技術が人を殺すための道具作りに使われた・・・。 【読者の方の感想 抜粋】 「今、大ブームのテニスを支えていた職人さんがいたこと、戦争によって、人を殺す道具作りをさせられたこと…時間が流れ、時代はかわっても、忘れてはいけないことがたくさんありますね」 「子どもたちの元気な声が聞こえてきそうな下町の暮らし、そこにひたひたと入り込んでくる戦争の不穏な影・・・戦争は嫌だ、という当たり前の感情を口に出すことが許されず、子供にも口止めをしなければならない、それが戦争の真の恐ろしさなのだと思います」 「昭和初期の時代の臭いが、音が、伝わってきました」 「深い思いが文章からも絵からも伝わってきました。ぜひ子どもたちに伝えたい本です」 「職人の誇りと苦悩が痛いほど伝わってきて、すっごくよかったです」 「戦争はもちろん反対ですが、この作品を読んで、もっと積極的に反対していかなければいけないんだと思いました」 【目次】 1 町工場街の子どもたち《1936年(昭和11年)小学校入学》 2 ラケット工場 3 国家総動員法《1937-40(昭和12-5年)小学校2-5年》 4 足で泣く 5 土足の泥 6 留守を守る 7 知人たちの出征《1941年(昭和16年)小学校6年生》《1942年-43年(昭和17年-18年)中学校入学-2年生》 8 我が家で勤労動員《1944年(昭和19年)中等学校3年生》 9 大空襲《1945年(昭和20年)3月 中等学校3-4年生》 10 父さんのふるさと《1945年-47年(昭和20年-22年)中等学校4年生-5年生、卒業》 11 再会《2015年(平成27年)85歳》 あとがき この本を手にとってくださったあなたへ きどのりこ 【著者プロフィール】 青海 美砂 あおみ みさ 東京都出身。荒川区で生まれ、戦災で家が焼かれたため、愛知県へ移住。 幼少期の10年間過ごし、状況。現在にいたる。 日本児童文学者協会会員。ひまわり時計同人、季節風同人会員。 「足で泣く」第15回日本文学者協会・長編児童文学新人賞佳作受賞(本書は「足で泣く」を改稿したものです)。 五十嵐 志朗 いがらし しろう 画歴 二科展入選 2003年~06年 上野の森美術館大賞展入賞 2006年 第一美術協会展入選 2013年 スポンサー賞 2014年 準会員佳作賞 2015年 青山熊治賞 2017年 東京都知事賞
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歴史を学び、今を考える -戦争そして戦後
¥1,650
教科書に書かれなかった戦争66 歴史を学び、今を考える -戦争そして戦後 恵泉女学園大学平和文化研究所・戦後70年特別座談会 内海愛子、加藤陽子(著) A5判 154頁 並製 1,500円+税 「身近な出来事から考えていくと、社会の仕組みが見えてきます」内海愛子 「国家は想像を越える形で国民に迫ってくる場合があります」加藤陽子 大きな揺れの時代に、いま私たちは生きている。戦争を経て戦後も72年を迎え、今私たちはどこに向かって進んでいるのか。被害と加害、協力と抵抗の歴史を振り返りながら、キーパーソンのお二人が語る。 時代を読みとるための巻末資料を豊富につけた。特に「賠償一覧年表 戸籍・国籍の歴史・・・人民の国民化」は実にユニークです。 【目次】 はじめに 川島堅二恵泉女学園大学学長 挨拶 1部 歴史を学び、今を考える ・それでも日本人は「戦争」を選ぶのか? 加藤陽子 ・日本の戦後 -少数者の視点から 内海愛子 2部 質問にこたえて 「国家は想像を越える形で国民に迫ってくる場合があります」加藤陽子 「戦争も歴史も身近な出来事から考えていくことで社会の仕組みが見えてきます」内海愛子 資料 (1)英米共同宣言 (2)開戦の詔書 (3)『内外商業新報』1941年12月9日より (4)『朝日新聞』1941年12月9日より (5)敵国および断交国一覧 (6)連合国共同宣言 (7)カイロ宣言 (8)ポツダム宣言 (9)南方の連合国軍陸軍兵力概算表 (10)終戦の詔書 (11)日本軍の武装解除 (12)日本国との平和条約(サンフランシスコ条約)(抄) (13)サンフランシスコ平和条約署名国一覧 (14)通達 法務府民事甲第四三八号 平和条約に伴う朝鮮人、台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について (15)日本のアジア占領・支配と戦争裁判・賠償一覧 (16)日本の賠償および準賠償 (17)賠償プロジェクト一覧(インドネシア) (18)年表 戸籍・国籍の歴史 -人民の国民化 【著者プロフィール】 内海愛子 1941年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部、同大学院文学研究科社会学専攻修了。 在日朝鮮人などマイノリティ・少数者の人権をテーマに研究。1975年から2年間、 インドネシア国立パジャジャラン大学で日本語教師。恵泉女学園大学教授、早稲田 大学大学院客員教授などを経て、現在、大阪経済法科大学アジア太平洋研究セン ター所長。 著書『朝鮮人BC級戦犯の記録』(勁草書房、1982年、のち岩波現代文庫、2015年)『ジャワオランダ人少年抑留所』(梨の木舎、1997年)『戦後補償から考える日本とアジア』(山川出版社、2002年)『スガモプリズン―戦犯たちの平和運動』(吉川弘文館、2004年)『キムはなぜ裁かれたのか―朝鮮人BC級戦犯の軌跡』(朝日選書、2008年)などがある。 加藤 陽子 1960年、埼玉県大宮市(現、さいたま市)生まれ。1989年、東京大学大学院人文社会学系研究科修了(文学博士)。現在、東京大学大学院人文社会学系研究科(日本史学)教授。専門は日本近現代史であり、特に1930年代の外交と軍事を中心に研究を続けてきた。 著書『徴兵制と近代日本1868-1945』(吉川弘文館、1996年)、『満州事変から日中戦争へ』(岩波新書、2007年)、『昭和天皇と戦争の世紀』(講談社、2011年)、『模索する1930年代』(山川出版社、2012年)、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫、2016年)、『戦争まで』(朝日出版社、2016年)などがある。 ISBN 978-4-8166-1703-4 C0021 2017年6月発行
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文玉珠 ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私 [新装増補判]
¥2,200
★朝日新聞2016年5月17日(火)に記事が掲載されました★ 教科書に書かれなかった戦争22 文玉珠 ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私[新装増補判] 哲学・宗教・歴史・地理 文玉珠(著/文 他), 森川万智子(著/文 他) 発行 梨の木舎 A5判 並製 定価2,000円+税 ≪紹介≫ 初版刊行以後19年、話題を呼び版を重ねた。敗戦70年目の今年、文玉珠の足跡をビルマ取材と新資料「朴氏の日記」によって裏付け、新装増補判として世に問う。 ≪目次≫ 1大邱に生まれて 2「満州」東安省へ 3南の国へ 4マンダレーの日々 5最前線へ 6地獄に近い島・アキャブ 7退却ープローム、そしてラングーン 8軍法会議 9解放、母のもとへ 解説・増補版に寄せて・増補版解説 ≪前書きなど≫ 「本書を、音楽の才豊かで、賢くて、負けん気が強くて、一所懸命で、弱いものにやさしかったムン・オクチュさんと、その苦しい記憶を証明することのできない、すべての元慰安婦の女性たちに捧げます」(著者 増補版に寄せてより) 1997年5月、著者は、元慰安婦文玉珠さんの足跡を訪ねて、軍事政権下ビルマに3度目の調査に入った。 3回のビルマ取材と新資料「朴氏の日記」によって、文さんの足跡をさらに裏付ける。 日本軍は、「戦争遂行のために、もっとも蔑んだ形で女性を軍人にあてがった」(著者) 第16回山川菊栄賞受賞 ≪梨の木舎より≫ 1996 年、「慰安婦問題」をはじめ、日本の歴史認識問題がクローズアップされていた頃、初版を刊行いたしました。これまで版を重ねて参りましたが、増補改定・新装版として刊行いたします。戦後70 年を迎え、日本(日本人)の歴史認識問題に一石を投じる書籍 ≪著者プロフィール≫ 森川万智子(モリカワマチコ) 1947年福岡県に生まれる 1965年山口県立下関南高校卒業 1966年~1986年下関郵便局などで働く、全逓労組の役員を15年間続ける 1987年~出版社、編集プロダクション、印刷会社などに勤務 1991年~フリーライター・エディター 1997年 本書により第16回山川菊栄賞受賞 1997 ~98年ビルマにビデオ・カメラをもって長期取材する 2010年~現在 介護施設経営。買春問題ととりくむ会会員 ISBN978-4-8166-1501-6 C3021 奥付の初版発行年月 2015年4月 書店発売日 2015年4月30日
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クワイ河に虹をかけた男 元陸軍通訳 永瀬隆の戦後
¥1,870
教科書に書かれなかった戦争 57 クワイ河に虹をかけた男 元陸軍通訳 永瀬隆の戦後 満田康弘(著/文 他) 発行:梨の木舎 四六判 並製 定価 1,700円+税 ●News 2016.07 著者・満田康弘氏が監督をされた映画「クワイ河に虹をかけた男」が岡山、東京、大阪などで上映中・公開予定です! ●紹介 たった一人の戦後処理 枕木1本、人1人といわれた「死の鉄道」(タイメン鉄道)の贖罪に人生を捧げた男の物語。いつも傍らに妻佳子さんがいた。 永瀬隆 1918年生まれ。陸軍憲兵隊の通訳としてタイ―ビルマ間を結ぶ泰緬鉄道に関わる。復員後、倉敷市で英語塾経営の傍ら、連合国捕虜1万3千人、アジア人労務者推定数万人の犠牲を出した「死の鉄道」の贖罪に人生を捧げる。タイ訪問は135回に及ぶ。本書はその長い道のりを20年にわたって取材してきた地元放送局記者の記録である。 ●目次 プロローグ 3 1章 たったひとりの戦後処理/初めてのタイ同行取材/テレメンタリー/カンチャナブリ/永瀬さんとの出会い/永瀬さんの生い立ち/泰緬鉄道と永瀬さん/オーストラリア人ジャーナリスト/たったひとりの日本人/カンチャナブリの戦争墓地/連合軍の墓地捜索隊/「マザー、マザー」/ジャングルの墓標/不思議な体験/クワイ河平和寺院/戦場にかける橋/本当のモデルは?/和解の再会/泰緬鉄道とは/JEATH戦争博物館/地獄の建設現場/「決して許さない」/スリー・パゴダ・パス/地獄の業火峠/元捕虜の冷たい拒絶 2章 アジア人労務者/元アジア人労務者に会う/声なき声/断崖絶壁の桟道橋/元米軍パイロットと会う/再びタイへ/大量の遺骨/ブーンタムさん/飯ごう一杯の恩義――看護学生に奨学金を/善意のメガネ/白骨街道/なつかしい顔/盛況の移動診療/ デイキンさんをしのぶ/ 3章 ナガセからの伝言/「ナガセ軍曹」登場/2人のナガセ/横浜の暑い日/カウラ事件/バターン死の行進/メーホンソン/日本兵を追悼する/クンユアム星露院/日本兵の夫を探して/タイ国鉄ナムトク線/ナガセからの伝言/オーストラリアの博物館/ ヘルファイヤー・パスを行く/クワイ河まつり/永瀬さんの「遺言」/ 4章 遠かったイギリス/ラジオ事件/子煩悩な父がなぜ…/「戦犯の子」と呼ばれて/ 届いた手紙/50年ぶりの再会/駒井さんの思い/特別感謝状/「親友」からのメッセージ/日英和解への動き/日の丸を焼いた男/青空の平和教室/クラウディア夫人を訪ねる/怒れる元捕虜/駒井さんの訪英/遠かったイギリス 5章 最後の巡礼/クワイ河を見下ろす銅像/佳子さんの異変/泰緬鉄道を世界遺産に/ 月日は流れて/永瀬さんの衰え/最後の巡礼へ/134回目のタイ巡礼/薄れゆく記憶/タイの「子どもたち」/ミャンマー国境へ/クワイ河の虹/佳子さんの不満/ 覚悟の手術/生きている証/4年ぶりのタイへ/まっすぐな心/喜びの再会/銅像と対面/よみがえる初巡礼/鉄橋の二人/兄に会いに…/コップン・カー/さらばカンチャナブリ/佳子さんとの別れ エピローグ/あとがき ●著者プロフィール 満田康弘(ミツダヤスヒロ) 1961年香川県多度津町生まれ。丸亀高校、京都大学法学部を卒業後、1984年、株式会社瀬戸内海放送(KSB)入社。主に報道・制作部門でニュース取材や番組制作に携わる。現在、報道制作ユニット岡山本社グループリーダー。2003年、ウナギにまつわる様々な謎を追った「うなぎのしっぽ、捕まえた!?」で日本民間放送連盟賞受賞など、ドキュメンタリー番組で受賞多数。 上記内容は本書刊行時のものです。
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韓国人元BC級戦犯の訴え 何のために、誰のために
¥1,870
教科書に書かれなかった戦争64 韓国人元BC級戦犯の訴え 何のために、誰のために 李鶴来(イ・ハンネ)著 発行 梨の木舎 254頁 並製 定価1,700円+税 【News】 2016.09.01 週刊仏教タイムスにて紹介されました。 2016.06.22 毎日新聞夕刊にて紹介されました。 戦犯って何だ? 22歳の若者は、シンガポールの独房で、死刑執行の恐怖と8か月向き合ったー 「日本人」として裁かれ、「外国人」として擁護体制から切り捨てられた不条理を問う! 91歳の著者は、今も日本政府に謝罪と補償を求め続ける。 【本文より】 私の頭のなかに常にあるのは、死んだ仲間、その中でも刑死者たちです。彼らは、死刑囚だった私と同じく、誰のために、何のために死ぬのか、苦悶の時を過ごしたはずです。・・・ 故郷を離れ、日本軍の捕虜政策の末端を担わされ、日本の戦犯として責任を負わされて死んでいった仲間たちの無念を多少なりとも晴らすことは、生き残った私の責務なのです。 日本政府は立法を促す司法の見解を真摯に受け止め、立法措置を早急に講じるべきです。・・・ これは朝鮮人BC級戦犯者の私から、日本のみなさんへの問いかけです。 目次 1 「死の鉄路」の捕虜監視員 2 捕虜監視員になるまで 3 敗戦、逆転する立場 4 死刑判決と“俎上生活”の八ヵ月 5 スガモ・プリズンというところ 6 タクシー会社設立と遺骨送還運動 7 条理を求め裁判を闘う 8 日本政府の対応を求め立法運動へ あとがき 「何のために、誰のために」と問い続ける李鶴来さん 内海愛子 ●新聞投稿より ●特定連合国裁判被拘禁者等に対する特別給付金の支給に関する法律案 ●李鶴来・関連年譜 ●主な参考文献 ●本書を読むためのキーワード ISBN978-4-8166-1603-7 C0021 初版発行年月 2016年4月
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資料集 日本軍にみる性管理と性暴力 フィリピン1941~45年
¥5,280
資料集 日本軍にみる性管理と性暴力 フィリピン1941~45年 戦地性暴力を調査する会(編) 発行:梨の木舎 A5判 252頁 上製 定価 4,800円+税 本書は防衛省防衛研究所図書館の、フィリピン関係陸軍戦史資料の中から日本軍による性管理と性暴力についての資料を調べ、収めたものである。 防衛省図書館に現存する「日本軍」資料そのものが、「慰安婦」の存在を証明する! 日本軍が残した膨大かつ詳細な資料を、 東京の女性グループが丹念に調べ拾い上げ、ひとつながりの資料としてかたちにした。 ●はじめに 本書は、防衛省防衛研究所図書館に所蔵されている、フィリピン関係陸軍戦史史料の中から、日本軍文書にみる性管理と性暴力をあらわす資料を収めたものである。すなわち、「慰安所」、強姦や暴行についての記述のあるもの、性病(当時は花柳病という呼び方もあった)についての対策や、軍紀風紀をかかげて性犯罪を取り締まろうとするもの、および占領下の現地の証言・状況等をつたえている資料を収録している。 これは、先に当調査会が発行した『日本占領下フィリピンにおける日本軍性暴力史料集 1941◯1945』(戦地性暴力調査会 私家版、二〇〇〇年)に、その後調査した資料を加え、あらたな視点から編集・構成しなおしたものである。調査の範囲を広げた結果、フィリピンに加えて、中国、台湾、「南方地域」に関する資料も一部、収録した。 防衛省防衛研究所図書館では、フィリピン関係陸軍戦史史料を、主に「比島」として分類し、ほぼ時期ごとに、「比島進攻」、「比島防衛」、「比島全般」、「比島決勝」等に分けている。さらに、方面軍、師団、連隊、大隊など、部隊別の名称をつけてファイルしている。ただし、一つの簿冊の中に時期や種類などの異なるさまざまな資料が混在しているものもあり、分類は必ずしも厳密ではない。 フィリピン関係の資料には、「陣中日誌」、「戦闘詳報」、「業務詳報」、「作命綴」など、各部隊の作戦、戦闘の記録や報告、および軍政部・軍政監部発行の「軍政広報」等いわば公的史料、また戦後の「復員関係資料」や、戦史室・戦史部編の聞き取り調査資料など多岐にわたる種類の文書があり、総数でおよそ一五〇〇冊余りと思われる。それらは、戦後、執筆・発表されたものを除けば、敗戦時の資料焼却や、散逸を免れて残ったものであり、軍資料全体から見ると、ほんの一部にすぎない。 また、これらの資料は、当時の軍の厳重な管理、検閲のもとに記録作成、保存されたものであり、軍の立場が反映されているものと言える。 さらにそのなかには、現在なお非公開(たとえば「日記」など)とされているもの、当初は公開ないし一部公開されていたのが、今では閲覧禁止となっているものもある。「個人情報保護」などを理由に、たとえば犯罪の記録がまるごと袋綴じにしてあるもの、また「名簿」などを袋綴じした上に複写を貼り、名前部分のみ墨塗りしたものなども多い。簿冊ごと複写禁止、とされている資料も多数ある、というのが現状である。 しかし、このような状況でも、これらの軍資料のなかから読み取れたものも少なくない。「陣中日誌」や「会報」といった日常的な記録のなかに、「慰安所」の設置・運営管理についての記述が見られる。「皇軍」のための性病予防の方策や検黴検査など、性病対策に関する文書が多数ある。それにもかかわらず、性病が蔓延し、困惑している実情を示す資料も多い。また、占領した日本軍による女性への暴行や強姦、といった事実の記録が多数みられる。 軍の上層部は、こうした「性的問題」を取り締まるために軍紀風紀の確立を必須として、訓示や命令、勧告等をくりかえし発している。それは逆からみれば、取り締りが容易でなく、絶えず綱紀粛正の戒告を発せざるをえなかったフィリピン占領の実態、状況を示していると言える。 憲兵隊の「通信(郵便)検閲月報」や、フィリピン人の書翰、また反日運動のビラなどの資料は、現地の側からみた日本軍占領の実態をつたえるものである。 これらの資料は四章に分け、それぞれ、 1章 「慰安所」 2章 性病対策 3章 「性的問題」の取締 4章 現地の証言 として構成した。 またフィリピン以外の資料は各章の末尾にいれた。中国(史料分類では「支那」)、台湾、「南方地域」関係資料(史料分類は「南方」)、「陸亜密大日記」「陸支密大日記」等の資料である。 *なお、一九九二年以降、フィリピンでも日本軍「慰安婦」にされた被害者が多数、名乗り出ている。その証言により、軍資料に記録されている軍管轄「慰安所」のほかに日本軍の各駐屯地(病院、倉庫、工場、市場など)に、日本兵によって現地女性が拉致監禁され性奴隷を強いられた事実があきらかになっている。彼女たちの証言に沿って軍文書の調査をしたが、直接的記録は見いだせていない。 戦地性暴力を調査する会
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Messageヒロシマ・ナガサキそしてフクシマからあなたに届けます。
¥1,320
児童・絵本 広島あおむしグループ(著/文 他), 長崎北部ゆりの会(著/文 他) 発行梨の木舎 B5変形判 48頁 並製 定価1,200円+税 ISBN978-4-8166-1503-0 C0792 在庫あり 【掲載記事】大阪毎日新聞(備後版8月24日掲載)で「平和の尊さを伝える絵本 子どもたちに読んでほしい」と紹介されました。 http://www.jca.apc.org/nashinoki-sha/review/mainiti20150824messege.html 世界中の子どもたちに核のない未来を。長崎北部ゆりの会の「あの夏の日を忘れない 長崎の原爆1945.8.9」と、広島あおむしグループの「よぞら」の二冊の「布絵本」が一冊の絵本になりました。 ★「長崎の原爆」 2011.3.11 福島原発が破壊されたというニュースに、長崎の人たちは大きなショックをうけました。「原発も原爆も同じだ」。このとき「長崎の原爆」の布絵本をつくろうと思いました。 ★「よぞら」 火事が起きた生地屋さんの店先で、一枚の布との出会いがありました。捨てられる寸前だった深い紺色のビロードの布は「よぞら」になりました。 ★全国の布絵本のグループは、3.11の後、被災地の子どもたちに布絵本を送り続けています。2015年6月現在、一冊ずつ手作りの布・遊具の本1082点を送っています。 目次 *布の絵本「長崎の原爆」をつくったのは *あの夏の日を忘れない 長崎の原爆1945.8.9 *広島から届けるーー「よぞら」 *よぞら *ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ *あとがき *あの夏の日を忘れない 長崎の原爆1945.8.9(英訳) 奥付の初版発行年月 2015年8月 書店発売日 2015年8月8日
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ビデオ・メッセージでむすぶ アジアと日本 わたしがやってきた戦争の伝え方
¥1,870
教科書に書かれなかった戦争62 ビデオ・メッセージでむすぶ アジアと日本 わたしがやってきた戦争の伝え方 哲学・宗教・歴史・地理 神 直子(著/文 他) 発行 梨の木舎 A4判 185頁 並製 定価1,700円+税 ≪紹介≫ 何かのきっかけさえあれば、人は変わり動きだす! ●20代の若者が、ライフワークとして「戦争を伝える」を選んだのはなぜか? この10年の歩み ●「過去の戦争を知り、未来のかたちを考えるきっかけをつくる」ことを掲げ、戦争体験者のメッセージを記録し続ける ≪目次≫ 1章 戦後世代が、戦争の傷跡に直面 2章 ブリッジ・フォー・ピースの誕生 3章 ビデオ・メッセージの思いがけない反響 4章 BFPのコンセプトの成り立ち 5章 過去の戦争を知り、未来のかたちを考えるきっかけをつくる 6章 今の時代に大切なこと 前書きなど ≪著者プロフィール≫ 神 直子(ジン ナオコ) 1978年生まれ。青山学院大学文学部英米文学科卒業。一般企業人事企画本部勤務後、NPOに転職。2004年にブリッジ・フォー・ピースを立ち上げ、現在、代表理事を務める。 共著に『私たちが戦後の責任を受けとめる30の視点』(合同出版)、『未来の入会(いりあい)コミュニティ・コモン―市民がつくる地域力拠点 街を元気にする事例』(NPOメディアネットワーク) ≪はじめに≫ 私は、1978年に生まれました。敗戦の年は1945年ですから、30年以上がたっていました。中高生時代までは、「戦争なんて昔のこと」、「自分とは関係がない」と思って過ごしていました。将来、「戦争」と向き合い、「日本人」としてなにかをしたいと考えるようになるとは、想像さえもしていなかったことでした。年号の暗記が苦手で、歴史の成績はよくありませんでした。歴史を単なる出来事として学習していたので、そこに自分との距離を置いたり、壁をつくったりしていたのかもしれません。 そのような教育を受けていた私にとって、歴史を自分のこととして捉えていたドイツ人の女子高生との出会いは衝撃でした。 「私はドイツ人だと思われたくない。かつてナチスがやったことを思うと……」 そう言って、彼女は言葉を詰まらせました。 高校生のときに留学したイギリスでのことです。欧米諸国からの留学生十数人と、日本人五人の混成クラスの授業で、先生が「自分の国に誇りを持っている?」と質問したときに、真っ先に手を挙げたのが彼女でした。自国の歴史を自分に重ねて考えたことなんて一度もなかった私にとって、彼女の発言は驚きでした。「同じ年頃なのに、なぜ感覚がこれほど違うのだろうか」と不思議でした。 次の衝撃は、数年後の大学四年生のときでした。私は、日本の歴史を自分のこととして捉えたい、戦争の傷跡はどこまで深いのか知りたいと考えるようになっていました。青山学院大学の雨宮剛先生(現名誉教授)が主宰しているフィリピンへの体験学習のことを知り、参加することにしました。 三週間の旅程で、仲間は七人でした。 「日本人なんか見たくなかったのに、なんであんたたちはフィリピンに来たんだい!」 私たちに泣きながら詰め寄ってくるおばあさんがいました。新婚当時、夫を日本兵に連行されてしまった方でした。 自分の父親を含む家族12人を目の前で日本兵に殺された人にも出会いました。多くの遺族から直接話をきき、打ちのめされそうになりました。 戦争被害の話を突きつけられて、私の中でなにかが大きく変わり始めました。 これらの「生身の声」に触れたときから、日本人としての自分を強く意識するようになりました。自分のこととして歴史を少しずつ捉えられるようになっていったように思います。 初めてフィリピンを訪問してから三年後、新潟県のある住職から、戦時中に犯した行為を悔やみながら亡くなった元日本兵がいたという話をききました。その話に私は言葉を失うほど動揺しました。戦争は被害者のみならず、加害者にも深い心の傷を残す……。初めて知った瞬間でした。このことが私を突き動かしました。 2004年に私は、日本とフィリピンの戦争体験者の声を映像とともに記録し、日本とフィリピンで上映会を開催して、次世代につなげていくという活動を始めました。 10年の月日が流れた現在は、「過去の戦争を知り、未来のかたちを考えるきっかけをつくる」ことを目標に掲げ、これまでに撮りためた約280人の戦争体験者のメッセージ記録を活用したワークショップを開催するとともに、フィリピンだけではなく、戦争の爪跡が残るアジア諸国との交流活動をおこなうNPO法人ブリッジ・フォー・ピース(以下BFP)を運営しています。 100年経つと歴史は繰り返されると言います。世代が入れ替わるので記憶が風化し、同じ過ちが繰り返される一つのサイクルだと言うのです。2015年には、「終戦」時に20歳だった方は90歳、30歳だった方は100歳です。戦争体験者が一人もいなくなってしまったら、風化は避けられないでしょう。 戦後70年目の今、自分がやってきたことを次世代のために残したい。戦争体験者の生の声はもちろんのこと、日本を取りまくアジア諸国との交流など、私たちのこれまでの取り組みを紹介することで、未来に生きる人の役に少しでも立ちたい。 これは、戦後世代の私が、100年後、200年後、そしてその先の世代に遺したいメッセージです。「戦後」がずっと続くよう、心からの願いを込めて。 神 直子 2015年4月 ISBN978-4-8166-1502-3 C0021 奥付の初版発行年月 2015年5月 書店発売日 2015年5月1日
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犠牲の死を問う 日本・韓国・インドネシア
¥1,760
教科書に書かれなかった戦争61 犠牲の死を問う 日本・韓国・インドネシア 高橋哲哉(著/文), 李泳采(著), 村井吉敬(著), 内海愛子(コーディネーター) A5判 158頁 並製 定価 1,600円+税 「犠牲の死」、あなたはどう考えますか? 靖国問題から犠牲の論理を問い続けてきた高橋哲哉さん、民主化運動の犠牲の意味を考えてきたイ・ヨンチェさん、インドネシアを歩いて、国家も追悼もフィクションだと実感している村井吉敬さん、3人が語る。司会は内海愛子さん。 【目次】 1.佐久で語り合う―「靖国と光州5・18墓地は、構造として似ているところがある」について 犠牲の死を称えるのか・・・・・・・・・・・・・高橋哲哉 ――光州5・18、安重根の行為、カトリックの列福式・・・について 死の意味を付与されなければ残された人々は生きてゆけない・・・・・・・・イ・ヨンチェ 国家というのはフィクションです・・・・・・・・・・・村井吉敬 ――犠牲を追悼することはフィクションの上のフィクションを作る行為 2.東京で語り合う 追悼施設につきまとう政治性、棺桶を担いで歩く抵抗、 国家の弔いには下心(野心)がある、 戦犯裁判を考えてこなかった戦後日本、等々について 【著者プロフィール】 高橋哲哉(タカハシ テツヤ) 1956年、福島県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授。大学では専門の哲学のほか、「人間の安全保障」なども教える。ベストセラーとなった『靖国問題』(ちくま書房 2005)の他、『戦後責任論』(講談社 1999)、『国家と犠牲』(NHK出版 2005)など、著者多数。近著に『犠牲のシステム 沖縄・福島』(集英社新書 2012)、『いのちと責任』(大月書店 2012)高史明との共著、などがある。 李泳采(イ ヨンチェ) 1971年、韓国生まれ。恵泉女学園大学教員。98年来日、専門は日韓・日朝関係。日韓の市民団体の交流のコーディネーター、韓国語、韓国映画や映像を通して現代を語る市民講座の講師を務める。「ヤスクニの闇に平和の灯を!東アジア4地域(日本・韓国・台湾・沖縄)キャンドル行動実行委員会」事務局、光州5.18財団発行の「アジアジャーナル」海外編集委員。 著書に『韓流がつたえる現代韓国』(梨の木舎 2010)、『アイリスでわかる朝 鮮半島の危機、(朝日新聞社 2010)、『なるほど!これが韓国か---名言・流行語・造語で知る現代史』(朝日新聞社 2006)、『朴正煕―動員された近代化』(曺喜昖著, 李泳釆監訳, 牧野波訳)(彩流社 2013)など 村井吉敬(ムライ ヨシノリ) 早稲田大学大学院中退。東南アジア社会経済論。1975-77年、インドネシア・パジャジャヤラン大学留学。上智大学外国語学部、早稲田大学アジア研究機構教授(―2013年3月)。上智大学グローバル・コンサーン研究所客員研究員。2013年3月没。 著書に、『スンダ生活誌 変動のインドネシア社会』(日本放送出版協会 1978)、『小さな民からの発想 顔のない豊かさを問う』(時事通信社 1982)、『エビと日本人』(岩波新書 1988年)、『エビと日本人Ⅱ』(岩波新書 2007)、『ぼくの歩いた東南アジア』(コモンズ 2009)、『パプア 森と海と人びと』(めこん 2013)など多数 内海愛子(ウツミ アイコ) 早稲田大学大学院(社会学)修了。在日朝鮮人などマイノリティの人権問題に関心をもって活動・研究。日本朝鮮研究所、インドネシア国立パジャジャラン大学、恵泉女学園大学、早稲田大学大学院をへて、現在、大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター特任教授。 著書に、『朝鮮人BC級戦犯の記録』(勁草書房 1982)、『スガモプリズン――戦犯たちの平和運動』(吉川弘文館 2004)、『日本軍の捕虜政策』(青木書店 2005)、『平和の種をはこぶ風になれ』(梨の木舎 2007)(ノーマ・フィールドとの共著)、『東京裁判――捕虜関係資料』(全3巻)(共編著 現代史料出版 2012) (上記内容は本書刊行時のものです。) 【あとがきから抜粋】 私が大学生の時、光州は民主化運動の聖地だった。全国の大学生たちにとって、5月に光州を訪れ、望月洞墓地を巡礼することが、重要な儀式になっていた。しかし、当時は望月洞墓地の周辺、光州全体は戦闘警察に包囲され、韓国民主化運動弾圧の象徴でもあった。90年代、金泳三大統領と金大中大統領が登場して以降、真相究明が進められた。国立墓地が造成され、被害者への補償も行われた。今では、5月18日は国家記念日として、一部地域ではあるが記念式典の様子が生中継されるまでになっている。 「光州」と聞くだけで、私は胸が重くなり、複雑な感情を抱く。それは今でも変わりない。だが、30年を経った今日、日本やアジアの各地から多くの人びとが記念シンポジウムに参加し、観光などの形で光州を訪れるようになった。訪れることさえ禁止されていた時代を考えると、30年という時間の流れとともに、光州が訴えてきた韓国の民主主義のあり方が大きく変わってきていることを考えさせられる。 1998年、私は日本に留学した。留学前、韓国で考えていた靖国といえば、日本の首相が参拝し、戦争を美化する場所というイメージしかなかった。2006年8月15日、小泉首相の靖国「公式」参拝に抗議して、韓国や台湾から遺族を含め3000以上の人びとが来日した。当時、立命館大学教授だった徐勝先生から、いつものように突然、深夜に電話がかかってきた。ヤスクニキャンドル行動の「事務局をやれ」と言う。「こういう問題は、日本人自らやるべきです」と断ったが、「日本人自らやらないから」という返事だった。それ以降、「ヤスクニの闇に平和の灯を!東アジア4地域(日本・韓国・台湾・沖縄)キャンドル行動実行委員会」の事務局に毎年加わってきた。多くの人びとから「靖国の闇」の本質的な問題を学ぶ中で、日本社会の歴史問題が解決されないその根底に、靖国史観や靖国問題が根深く存在していることが少しずつ分かってきた。また、死者に対する美化や顕彰の問題は、日本だけの問題ではないと考えるようになった。 韓国でも国軍兵士や独立運動家の死に対する美化や英雄化は、国家主義やナショナリズムを形成していくうえで、重要なイデオロギーとして作用している。それだけでなく、民主化運動の象徴である光州事件の真相究明の後、望月洞の犠牲者が国立墓地に移葬された。彼らに暴力を加えた国軍の加害者と民衆の被害者が、同時に国家によって追悼されるという事態となった。日本国家が追悼という名の下に死者を美化することの問題性を訴え、靖国を批判すればするほど、韓国の民主化精神の象徴として光州事件の犠牲者を国家が追悼することの問題性も見えてきた。 軍国主義による犠牲の象徴である靖国と民主主義闘争による犠牲の象徴である光州は、質が違うものであり、その歴史も背景も経緯が異なっている。光州と靖国を同じ天秤にかけて比較することは、私の短い民主化運動の経験から見ても言語道断である。質が違うものを比較すること自体に違和感を覚える人も韓国民主化運動陣営には多くいるだろう。 光州の死者への英雄化と国立墓地への埋葬がなされ、民主化運動の抵抗の精神が形骸化されつつある現状を見ると、光州や韓国の民衆の犠牲に対して再び原点に立ち返り考える必要がある。光州出身であり、いわゆる光州精神で自分の民主化運動と現在の生き方を考えてきた者として、光州の現在の追悼のあり方に関して、今の時代だからこそ取り上げるべきだと思った。それは、まさに我々の中に存在しているもう一つの国家意識や構造的な暴力とも向き合いたいという気持からでもあった。・・・・・ 李泳采(イ・ヨンチェ) 2013年7月7日 ISBN 978-4-8166-1308-1 C0022 2013年8月発売
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君たちに伝えたい2 朝霞、キャンプ・ドレイク物語。
¥1,980
自由をつくる 君たちに伝えたい2 朝霞、キャンプ・ドレイク物語。 中條克俊(著) A5判 192頁 並製 定価 1,800円+税 朝霞、JAZZが流れる街の歴史を掘り起こす。若者たちに伝えたい、かつての「基地の街」の歴史と現在――。 2012年秋、基地跡地に「朝霞の森」がオープンした。ここは戦後、キャンプ・ドレイクと呼ばれた米軍基地があり、極東のインテリジェンス(諜報活動)を全面的に担ったという。「基地の街」が背負った歴史を著者はここで暮らしてきた人びとに話を聞きながら、明らかにしていく。 【目次】 キャンプ・ドレイクについて 3 まえがき 9 一章 駅前商店街通りから見える 13 ―まっすぐに延びる一本道 1 国家公務員宿舎「朝霞住宅」建設問題 14 「朝霞の森」誕生/基地返還の概略/国家公務員宿建設計画/首相が基地跡地視察/建設中止へ/中学生が考える国家公務員宿舎建設問題/米軍の置土産 2 本田美奈子と駅前商店街通り 24 本田美奈子モニュメント/『ミス・サイゴン』/「ミーデン」/キムの叫び/駅前商店街通りはいま 3 シベリア抑留と朝霞 31 シベリア抑留体験者との出会い/中学生とシベリア抑留/なぜシベリア抑留があったのか?/シベリア抑留の理不尽さ/シベリア特別措置法と今後の課題 4 かめさん食堂 39 老舗の大衆食堂/中学生とかめさん食堂/「オンリー」と「パンパン」/定食屋としていつまでも 5 町中にあった引き込み線 45 広大な雑木林/物資移送の引き込み線/米兵移送の引き込み線 6 尾崎豊が歩いた坂道 49 転校・いじめ・登校拒否/尾崎豊の原点/楽曲『米軍キャンプ』と『坂の下に見えたあの街に』/中学生と尾崎豊 7 もうひとつの「泣き叫ぶ魂の森」 55 廃墟となった基地跡地/『戦争の悲しみ』/もうひとつの「泣き叫ぶ魂の森」 コラム1 16歳のオリンピアン 59 8 クオンセット・ハットとスタッグ・バー 61 クオンセット・ハット(かまぼこ形兵舎)/スタッグ・バー コラム2 モハメド・アリのポスター 65 9 関東計画と基地返還 67 関東計画/基地返還 二章 元ゴルフ場から 71 ―東洋一のゴルフ場から陸軍予科士官学校そしてサウス・キャンプ 1 東洋一のゴルフ場 72 2 「鉄道王」根津嘉一郎 73 鉄道王/根津公園 3 「幻の朝霞大仏」 76 大梵鐘/朝霞大仏の原型 4 陸軍予科士官学校からサウス・キャンプへ 78 陸軍予科士官学校が朝霞へ/サウス・キャンプのネヅ・パーク 5 ルーム・ボーイの夕食はリメインド・チャウダー 80 日本人ルーム・ボーイ/米軍隊式トイレ/リメインド・チャウダー コラム3 映画『この世の外へ クラブ進駐軍』(坂本順次監督)と第一騎兵師団 85 6 在日義勇兵 86 在日義勇兵とは何か/サウス・キャンプから仁川へ/独立三・一歩兵大隊/再入国拒否 7 マラソンランナー円谷幸吉 90 自衛隊体育学校入校/東京オリンピック銅メダリスト/挫折と苦悩 三章 「日本の上海」から見える 93 ―南栄通り一〇〇〇メートル 1 日本の三大休養施設と「日本の上海」 94 日本の三大休養施設/「日本の上海」 2 「血取り」と「日本の上海」の事件簿 96 「血取り」/「日本の上海」の事件簿 コラム4 サヨナラ増田屋旅館 99 3 広沢池の観音堂 100 パパサン/広沢の観音様 4 『基地日本』と朝霞「基地の子」 103 朝霞「基地の子」/占領下日本の縮図 5 私の親分はキリスト 106 南栄はからし種/親分はキリスト コラム5 軍需品だったコカ・コーラ 108 6 進駐軍ジャズ発祥の地 110 「黒人の死闘の歴史」/「オールド上海」から「日本の上海」へ/進駐軍ジャズ発祥の地/日本最古のジャズ喫茶 四章 キャンプ・ドレイクから見える 115 ―第一騎兵師団司令部からリトル・ペンタゴンへ 1 キャンプ・ドレイクとモモテ・ビレッジ 116 キャンプ・ドレイクの命名由来/モモテ・ビレッジの命名由来 コラム6 朝鮮戦争と朝霞町人口倍増 120 2 キャンプ・ドレイクの頭脳 121 リトル・ペンタゴン/建築家アントニン・レイモンド 3 キャンプ・ドレイクで行われたこと 123 一騎兵師団の司令部/CBRトレーニング/諜報(心理戦)/進駐軍放送と大和田通信所/野戦病院(第二四九陸軍総合病院) コラム7 映画『地獄の黙示録』に見る第一騎兵師団 137 コラム8 ベトナム戦争と反戦歌 161 4 日米共同作戦計画 171 共同統合作戦計画/大井通信所と内閣官房調査室/日米秘密情報機関/日米情報交換の今昔 参考文献等 184 あとがき 185 キャンプ・ドレイク 192 【著者プロフィール】 中條克俊(チュジョウ カツトシ) 1956年東京都新宿生まれ。新宿区立淀橋第七小学校、淀橋中学校(いずれも廃校)に学び、淀橋浄水場跡地(現在の新宿新都心)に超高層ビルが林立していく様を毎日眺めながら育つ。都立新宿高校に進学してから、新宿駅南口「旭町」のドヤ街、東口の「赤線地帯」跡、西口の「ションベン横丁」(正式名称「新宿西口思い出横丁」)に関心を持つ。埼玉大学経済学部卒業後、1981年より埼玉県公立中学校教員(社会科)となり現在にいたる。地域から見える戦争と平和を研究テーマとして、教材づくりと教育実践(平和学習)に専念している。 歴史教育者協議会会員。早稲田大学教師教育研究所招聘研究員 (上記内容は本書刊行時のものです。) ISBN 978-4-8166-1307-4 C0021 2013年7月発売